わたくし、今年も無事に、6月12日に誕生日を迎えまして、
普段ならそんなことはどうでもよいのですが、

今回は、キリのよい40歳、
10年に1度のプチ・ミレニアムということで、
30代の振り返りとか、40代の展望なぞを、少し書いてみようかと。

年齢の話になりますと、必ず出てくるのが、
僕のキライな「論語」のアレ。

三十而立(三十にして立つ)
四十而不惑(四十にして惑わず)

「三十にして立つ」というのは、
30歳でようやく二足歩行できるようになった、
という意味ではありません。

まぁ、「自立した」ぐらいの意味なのでしょうが、
僕がサラリーマンを辞めて「独立した」のが、31歳のときなので、

そう考えるとここはクリアしているような気もするけど、
でも7年ぐらいでまたサラリーマンに戻ったからね。
ま、それはいいとして。

「四十にして惑わず」というのは、
40歳でようやく生き方に迷いがなくなった、
ぐらいの意味ですかね。

でも正しい生き方なんてものは、人それぞれでしょうから、
その人が生き方を決めても、
他人にとっては迷惑だったりすることもあるかもしれないし、

まぁこういうところが、
孔子のいい加減なところだと思うのだけれど、
逆にいえば、人間臭いというか、
親近感が湧くところでもあります。好きじゃないけど。

ということで、自分も40になったのだから、
生き方みたいなものを決めた方がよいのでしょう。

とはいっても、まだ人生折り返し地点なので(たぶん)、
とりあえずは「40代をどう生きるか」ぐらいに、
ハードルを下げたいと思います。

まずは音楽ですかね。

10代の頃に、イヤというほど身に沁み込ませた音楽感?が、
30代後半からムクムクと、また復帰してきまして、
死火山だと思っていたのが、びっくりの休火山だったわけですが、

とりあえず始めた津軽三味線は継続します。
そして今年から始めた義太夫は、最低3年、
その後にもう一つ浄瑠璃を、新内節か宮薗節。

あとはピアノを復活させて主にジャズ系を、
それにインドのシタールか、もしくはヴィーナ。

もひとつ欲を出すならば、コントラバスを(ムリかな・・・)。

これだけでも10年はあっという間に過ぎるかもしれませんが、
火星に行くヒマがあったら、こっちをとりますね。

次に美術。

やはり見ているだけではモノ足りないわけで、
ヘタの横好きやらなきゃ損×2、と思いまして、
ターゲットは、水墨画。

要は、色を足したければ油絵だし、
引きたければ水墨画だし、
足すのか引くのか、楽器は「弾く」から色も引こう、
ということで、水墨画。

ヘタなダジャレのようですが、
日本語で同じ発音をするものは、
大抵原義は同じである、という(自分なりの)法則がありまして、
これもあながち間違えていないと思っている次第です。

最後に、文芸関連。

こちらも美術同様、
読んでいるだけではだんだんモノ足りなくなってくるのが、
文学部卒業としての悲しいサガ、

江戸戯作風の、随筆とも小説ともつかない軽妙な本を一冊ぐらい、
書いてみたいと思う気もしますし、

それとは真逆で、
我が国の古典や天体物理学についての学術論文なぞを書いて、
匿名で投稿してみたいとも思いますし。

ところで、「論語」では、また別の箇所で、

「40歳にもなって、人に憎まれているようでは、人として終わってるね」

みたいなことを言っているわけですが、
ヒトですからね、こっちが気付かないうちに他人に憎まれることぐらいありますよ。

孔子という人は、自分は敵が多かったクセに、そのことは棚に上げて、
他人にはエラそうに、こういうことを言うわけです。
そこが苦手なんですね、僕は。

我が国でいえば、兼好法師。
あれもイヤな奴ですよね。

よく比べられるけど、鴨長明のような清廉さは、まるでない。
でも教科書とかに載っちゃうんですからね。

酒もまわってきましたし、
故人を冒涜すると撥、いや罰があたりますので、
このあたりで、失礼したいと思います。

たまに口語調で文章を書くと気分転換になるもので、
乱文にてこりゃまた失礼。