「雪のなかのアダージョ」(粟津 則雄)

 

クラシック音楽に関するエッセイ集だが、

演奏家についてが5割、
作曲家についてが4割、
それ以外が1割、

という構成で、

余程の音楽好きじゃないと、アシュケナージとバレンボイムの違いとか、
おそらく「???」だと思うから、
まぁ、マニアックな著作だといっていい。

でも、○○○のピアノは時代を反映している、とか、
●●●の指揮は構造を把握している、とか、

演奏についての評論は、言ったもの勝ちみたいなところがあって、
そう言われてみればそうだし、そうでもない気もするし、

僕自身、この本に書かれていることの7割は同意だったけれど、
残りの3割は、自信をもって「そうじゃないよね」と言える。

曲自体の良し悪しは、ある程度決められるけれど、
演奏については、もう好き好きになるし、

まして、その演奏家自身に纏わるパーソナリティまで気にしだすと、
主観的な評価以外の何物でもなくなる。

だから、音楽評論家というのは、ある意味ラクな仕事なんだと思う。
だって、正解がないわけだし。

でも、人生の大部分を「音楽を聴く」という行為に費やすという姿勢は、
僕には真似できない。

なぜなら、絶対、聴くより弾いてみたくなるから。

ところで、
美術を鑑賞する場合と比較してみると、

「セザンヌを観る」

に相応する音楽的行為は、

「ベートーヴェンを弾く」になるのか、
それとも、
「ベートーヴェンを聴く」になるのか。

「弾く」と「聴く」とでは、
その音楽体験の深度なり濃度がどのように違ってくるのか、というのは、
とても興味深いテーマなのだけれども、

そこまで語り始めると、
この本の感想を述べるという範疇を越えてしまうので、
それはまたいつか別記事で書いてみたいと思う。

最後に、この本のタイトルにある「アダージョ」とは、
モーツァルトのピアノ協奏曲23番の第2楽章のことだそうだ。

確かに、あれは美しい。
そしてそれに続く第3楽章の躍動感があるからこそ、さらに美しい。