「幻子論」(熊野 宗治)

 

ビッグバンと相対性理論は間違っている!

という本なのだけれど、

後半は宇宙ステーションの紹介とか、
読むに耐えない小説風の文体とか、

まぁ、いろいろ滅茶苦茶な本だった。

それが正しかろうが誤っていようが、
世間でそれなりに評価されているものに対して反論するときは、
相応の礼儀と理論武装をもって臨むべきであって、
まずそこができていない。
論客として失格である。

ダメ出しをし始めたらキリがないので、ひとつだけ。

相対性理論は間違っている!と威勢だけはよいのであるが、
触れているのは、特殊相対性理論の、しかも光速に関するわずかな部分のみである。

残りの大部分については言及していないばかりか、
本の後半では、否定しはたずの特殊相対性理論をベースに語り出すという、
お粗末この上ない著作である。

僕個人の考えとしては、二つの相対性理論はおそらく正しい。

万が一間違えていたとしても、
現代物理学からみたニュートン力学のような立場になるだけであり、

まったく違う観点からの「より良い物理学」が発見された場合に、
ああ、相対性理論は近似的に成り立っていただけなのだな、と思われることになるのだろう。

だから、もし勇気をもって相対性理論に立ち向かうつもりであれば、
それらを否定するのではなく、

それらが近似的にしか成り立たないような、別次元の物理を見つけるしかない。
(そしてそれは、間違いなくノーベル賞級の仕事となるだろう)

それにしても、相対性理論に難癖を付けたがる人は、
いつも同じような箇所ばかり狙いたがる。

まぁそこぐらいしか理解できていない証拠なのだろうけれど、
この理論にとってそんな箇所は、実は大したものでもなかったりするから皮肉である。

科学理論とは、いくつもの要素が緻密にかみ合った巨大な建造物であるが、
たとえ一か所が綻んだところで、すべてがガラガラと崩壊するものでは決してない。

この本の著者は、まさに木を見て森を見ず、である。

木を見て森をも見なければ、科学理論を打ち立てることも倒すこともできない。