ドイツロマン派の文学なんて僕の趣味ではないのだけれど、
これを読もうと思った理由はただひとつ、
漱石先生の「猫」を味読しようと思い、であるならば、
「猫」執筆当時からその類似性が何かと問題になっていた、
ホフマンのこの作品をまずは読んでみようと思ったわけ。
ホフマンの「猫」は、構成からして奇妙で、
牡猫ムルが語るパートと、楽長クライスラーの物語のパートとが、
混ざり合って交互に出てくるという、
そしてそれは、ムルが執筆を編集する際に、
誤ってクライスラーの物語を混入させてしまったのを、印刷屋がそのまま製本してしまったとか、
結構手の込んだ設定になっていて、
でもその割には、それほど面白い小説ではないのだが・・。
いかにもドイツロマン派な、教養文学的な側面と、
ホフマンらしい幻想性のようなものがミックスされて、
しかも一方では猫が読み書きするというのは、
ちょっと盛り込みすぎという気がしないでもない。
この作品を参考にしたのかどうかは置いておいて、
やはり漱石流の「猫」の方が、小説としては格段上だと思うのである。
海外の長編小説を読むのなんて久しぶりだったのだが、
それにしても人名が覚えられない。
似てる名前で、しかも公子だとか公爵だとか出てきて、
正直、100%理解したとは言い難い。
とはいえ、いつか読み返すこともないであろう。
この後は、「ムルの魂を受け継いだ」と猫自らに語らせている、漱石先生の「猫」と、
それをさらに引き継いだ、内田百間の「猫」へと読書リレーすることにしよう。
[…] ホフマンのムル猫に続いて、 いよいよ本命の漱石先生の猫である。 […]