「撰集抄」は、長らく西行作とされてきた仏教説話集だけれども、
西行を作者とするには、あまりにも矛盾が多すぎて、
今ではそれを信じている人は誰もいないだろう。
西行は、言うまでもなく「遁世のヒーロー」であり、
この書が、彼の作であるとされたということこそが重要なのであって、
ほぼ全編に貫かれている徹底した無常観は、
日本の文化史を考えるにおいて、無視できないものである。
敢えて、書き手について想像をめぐらしてみれば、
おそらく一人の手になるものではないだろうと思う。
内容としての統一性にも欠けているし、
語り口には、明らかにいくつかのパターンがある。
西行に憧れたを抱いた後世の人々が、
書き足していったという可能性は否定できない。
さらに大胆に想像してみれば、
全体にわたって見受けられる「もののあはれ」的な感覚は、
もしかしたら、「撰集抄」の主な作者の一人は、
女性だったのではないかと思わせる。
中には、時代設定や登場人物などが滅茶苦茶なものや、
やけに説教臭い説話もあるのだけれど、
それも含めて、個人的には好きな作品である。
昔は、これを読んで実際に出家した人もいたんじゃないかな。