「路上の義経」(篠田 正浩)

 

日本の中世はいつから始まるのかについては定説がないが、

・土地の実質支配権が、貴族・寺社から武士に移ったこと

・それとは逆に、特に文化面においては、
土地に縛られない漂泊民の存在が目立ち始めたこと

が、中世の始まりを告げる現象であると、僕は思う。

そして上記2つを個人として体現してしまったのが源義経であり、
それは単なる貴種流離というキーワードでは片づけることのできない、
日本史上の結節点とでも呼べる存在である。

特にこの本では、
武将でありながら定住することのなかった義経という生き方に共鳴した漂泊の芸能民たちが、
文芸・歌舞・音曲の世界でどのように義経の鎮魂を為したのか、がテーマとなっていて、

ひとりの武将を通して、日本文化の形成と発展を語るという、
ユニークかつ優れた着眼点だと思う。

「平家物語」「源平盛衰記」「義経記」のような軍記物、
能「八島」、浄瑠璃「平家女護嶋」「出世景清」、
さらには「義経千本桜」「勧進帳」「助六」・・・

直接義経が活躍するものではなくても、
その根底にあるのは、作り手そして受け手による「判官びいき」であり、

どのような人物であったかさえ定かではないのに、ここまでヒーローと成り得たのは、
おそらくかなり早い段階から伝説化が行われていたからであって、
そこにはやはり、義経と自らの運命を重ね合わせた芸能民たちの存在が大きかったのだろう。

ところで、これは個人的な見解だが、
義経の最大のミステイクは、壇ノ浦の合戦において、
三種の神器(草薙剣)とともに、幼帝(安徳天皇)が入水するという、
前代未聞の事態を招いてしまったことではなかったか。

朝廷側はもちろんのこと、
三種の神器と天皇を手中にしようと目論んだ兄・頼朝側の失望も大きかったはずで、
義経の運気はここから一気に下降することになる。

これは義経と並ぶ貴種流離のヒーローである日本武尊が、
この草薙剣を帯同しなかったことで、命を落としてしまったことにも重なってくる。

さらには、義経が所持していた源氏代々に伝わる妖刀「友切(髭切・鬼切)丸」が、
後に曽我兄弟や新田義貞などの悲劇を招くことになるわけだが、

「草薙剣」「友切丸」という、数々の伝説や物語を生み出してきた二本の剣が、
義経という存在の上で交差する点も、大いに注目すべきであろう。

もっと挙げるならば、
義経の幼年期および逃亡ルートに存在していた山伏のネットワーク、
奥州との交易路の存在、天狗伝説、聖地としての吉野など、

史実であれ虚構であれ、
一人の人物に、ここまでの歴史的・文化的要素を背負わせたことは、
他に例を見ない。