日本中をおいしいと言わせたい

 

我が家の近くにダイエーがあって、
その店先に置かれたディスプレイが、一日中CMを流していているのだけれど、

先週末、仕事に向かう際に、
そのCMの中のワンフレーズが耳に入り、一日中気になって仕方がなかった。

そのフレーズとは、

「日本中をおいしいと言わせたい」

というベタなコピーなのだけれど、

まず、このナレーターの滑舌が悪く、最初、

「日本人をおいしいと言わせたい」

に聞こえた。

いや、そこは「日本人においしいと言わせたい」でしょ、
と思いつつ、帰宅してから調べたら、上のポスターにあるように、正しくは、

「日本中をおいしいと言わせたい」

だったわけなのだけれど、
それで一件落着、というわけではなく、それであるならば、

「日本中をおいしいと言わせたい」
「日本人においしいと言わせたい」

という、意味も文型も非常に似通った二つの文において、
なぜ格助詞の「を」と「に」を使い分ける必要があるのか、というギモンが生じてきたというわけだ。

そこで、「~させる」という所謂「使役」の文において、
「を」と「に」がいかに使われるかについて考察してみたい。

———————————-
・「~に~させる」のパターン
先輩は後輩にユニフォームを洗わせた。
親分は子分に敵を殺させた。
先生は僕に歌を歌わせた。

・「~を~させる」のパターン
先輩は後輩を走らせた。
彼はいつも皆を笑わせる。
親は子供を寝かせた。
———————————-

このパターンを見る限り、問題は単純そうに思えてくる。

つまり、動詞が他動詞の場合は「に」を用い、自動詞の場合は「を」を用いるということだ。

これは、他動詞が必要とする目的語の多くが、格助詞「を」を伴うため、
それと区別をするために、他動詞の場合は「に」を用いるということで、
スムーズに説明できそうな気がする。

だが、

「殿様は家来を食わせてやるものだ。」

のような例では、「食う」という他動詞なのにもかかわらず、
「を」が用いられており、一見矛盾する。

これは、「食う」というのは確かに他動詞なのだが、
この例文のような「食う」は、「生活をする」という自動詞の意味に近いために、
「を」という助詞を使っているのだと思われる。

「食う」が明らかに他動詞として使われている場合は、

「殿様は家来に飯を食わせてやるものだ。」

のように、やはり「に」が用いられるのである。
<br/ >

また、「熟語+する」という動詞の場合は、
自動詞のように思えても、実は他動詞なので要注意である。

例えば、

「先輩は後輩を走らせた。」
「先輩は後輩にジョギングさせた。」

「走る」も「ジョギングする」も、ほぼ同じ意味の自動詞なのに、
「を」と「に」を使い分けるのはおかしいじゃないか、と思うかもしれないが、

「ジョギングする」は、正しくは「ジョギングをする」という目的語付きの他動詞なのであって、

「先輩は後輩にジョギングをさせた。」

と書けば、典型的な他動詞の使役文となるのである。

どうやら、使役文は動詞が他動詞か自動詞かによって「に」と「を」を使い分けるのだと考えてよいようだ。

ここまで理論武装した上で、冒頭のダイエーの広告に戻ってみる。

「日本中おいしいと言わせたい」

僕はこれを最初、「日本人をおいしいと言わせたい」と聞き間違え、
それに違和感を感じたのだと書いた。

それはつまり、「言う」が他動詞だからであり、
正しくは「日本人においしいと言わせたい」だろう、と考えたのは間違えていなかったことになる。

ただ、それは「聞き間違えバージョン」であって、この広告の正しい形は、

「日本中をおいしいと言わせたい」

なのである。

「言う」は他動詞であるはずなのに、「を」が使われているではないか。

「あの事件は、世間をあっと言わせた。」

のような例も同様だろう。

これは要するに、「言う」という動詞の性質の問題であって、

「父は僕に、母に対する文句を言わせた」

のような明白に目的語を伴った他動詞の場合は、「に」を用いるし、

「父は僕をあっと言わせてくれる」

のような、目的語を伴わない、通常の他動詞と異なる使い方の場合には、「を」を用いる、
ということでよいのだろうか。

だがその考え方をもってしても、

「日本中をおいしいと言わせたい」
「日本人においしいと言わせたい」

の用法の違いは説明できないのである。
(なぜならば、この二つの文の違いは、「日本中」か「日本人」の違いかだけなので)

さらに、「日本中」を「日本中の人」と言い換え、
「おいしいと」を「ごめんなさいと」「あっと」に置き換えてみると、様相はますます混迷する。

「日本中をおいしいと言わせたい」
「日本中をあっと言わせたい」
「日本中にごめんなさいと言わせたい」

「日本中の人においしいと言わせたい」
「日本中の人をあっと言わせたい」
「日本中の人にごめんなさいと言わせたい」

「日本人においしいと言わせたい」
「日本人をあっと言わせたい」
「日本人にごめんなさいと言わせたい」

これらを根気強く眺めて考えたところ、
どうやら、「~をあっと言わせる」というのは、成句として考えるほかはないようだ。

「~にありがとうと言わせる」「~に好きだと言わせる」「~にすみませんと言わせる」<br/ >など、いずれも「~に」であるのが普通だけれども、
「あっと言わせる」の場合だけが、「~を」なのである。

そうなると、上記の9つの例文のうちで唯一説明できないのが、やはりダイエーのコピー、

「日本中をおいしいと言わせたい」

だけである。

ということで、ここらで結論をまとめることにしたい。

【結論】
・動詞が自動詞の場合は、使役対象には「を」を付ける。
例)「先輩は後輩を笑わせた」

・動詞が他動詞の場合は、使役対象には「に」を付ける。
例)「先輩は後輩にビールを買わせた」

・「言う」に関しても通常の他動詞同様、使役対象には「に」を付ける。
例)「父は僕に、母に対する文句を言わせた」
例)「父は僕に、嫌いだと言わせた」

・ただ、「~をあっと言わせる」という場合は、使役対象には常に「を」を付ける。
例)「彼は世間をあっと言わせる」

・「日本中をおいしいと言わせたい」というのは、
「日本中をあっと言わせたい」から応用されたキャッチコピーならではの表現であり、
本来であれば、「日本中に、『この肉はおいしい』と言わせたい」とするべきで、
「日本中をおいしいと言わせたい」というのは、通例では行わない表現である。

以上が結論である。

このコピーを考えた代理店の担当者は、ここまでの問題を考えていたのかどうか。

もし考えていたのであれば、「日本中をおいしいと言わせたい」というのは、
よく練られたコピーであると言えるかもしれないし、

もしあまり考えずに、何気なく思い付いたのであれば、
日本人の言語感覚が変わってきている証拠であるのかもしれない。

追記:そもそも、自分の考察が検討外れである可能性もゼロではない。
また、「~をあっと言わせる」という成句がいかにしてできたのかはスルーしてしまったし、
「日本中をおいしいと言わせたい」という表現は国文法的に間違えておらず、
違和感を感じている(ように思っている)のは、自分だけかもしれない。