「おくのほそ道を旅しよう」(田辺 聖子)

 

1989年に出た本の復刻版である。
なので、この本で描かれる東北地方の様子は、
大震災の被害を受ける前のもの。

それはさておき、この本はちょっと期待外れ。

田辺聖子さんということでハードルを上げ過ぎたせいもあるのだけれど、
ダメだと思われる理由がいくつかある。

まずは、「奥の細道」を線ではなく、
点でとらえようとしていること。

「奥の細道」は、芭蕉が各地を訪れて句を詠んだという意味では、
確かに「点」の要素の強い作品なのではあるが、

あくまでもこれは、芭蕉の一歩一歩が連綿とつながってゆく旅なのであり、
一続きの「線」なのである。

深川の芭蕉庵からスタートし、
東日本をぐるりと廻って大垣でゴールするまで、

それは地理的な旅であることはもちろん、
かつての歌枕をつないでゆくという、歴史的な旅でもあった。

すなわち、地理的・歴史的な連続性こそが「奥の細道」の醍醐味なのであって、
それをこの本の作者のように、

列車や車で何回にも分けて、任意の「点」のみを訪れるという方法では、
「奥の細道」の魅力を伝えることは到底できまい。

もう一つの理由としては、おそらくこの本は、
田辺さんのオリジナルから大幅にカット・編集が入っているのではないだろうか。

文章がよそよそしいというか、統一感を欠いているというか、
この作者らしからぬバランス感の崩れが読み取れるのである。

「奥の細道」自体が、
かなり芭蕉による脚色がなされていると言われているので、
まぁ良いといえば良いのだが、

何度も推敲を重ねる芭蕉と、
ビジネス的な都合で文章をぶった切る編集者とでは、
そこにクオリティの差が表れてしまうことは、
どうしても避けられないだろう。

けれど裏を返せば、「奥の細道」の完成度が高すぎて、
生半可なアプローチでは歯が立たないのだ、ともいえる。

やはり芭蕉と同じ時間と手間をかけて、
全行程を歩くぐらいのことをしなくては、
この偉大な作品の真髄には近づけないのだと、理解した。