「太平記(三)」(岩波文庫版)

 


ここぞとばかりに格調高く綴られた、
後醍醐帝崩御の場面である。

武士政権(鎌倉幕府)を滅ぼして天皇親政を実現しかけたものの、
結局は武士(足利尊氏)によって吉野へ追いやられてしまうというのは、

鎌倉幕府が桓武平氏の北条氏によるものであり、
尊氏が清和源氏の嫡流であった事実ともに、皮肉であった。

そしてそこにはさらに、源氏のお家芸でもある、
同族同士の争い(足利氏対新田氏)という構図も絡み、
歴史の巨大な歯車に翻弄されてしまった人々を描く「太平記」という作品の、
ひとつのクライマックスでもある。

第一の忠臣であり、当代一の戦術家でもあった楠正成、
鎌倉幕府を滅ぼした立役者であり、
最後まで官軍の将として戦った新田義貞、
そして冒頭に掲げた後醍醐天皇、

この岩波文庫版の第三冊では、南朝側の重要人物が三人も死に、
それは文学作品としては一番の「見せ場」であるはずなのだが、
作者の筆は、ここでも極めてドライである。

むしろ、かの有名な高師直による横恋慕や、
尊良親王と結ばれた御息所の数奇な運命の物語の方に、
まるで王朝文学さながらに筆の力をこめている。

ここにはおそらく、作者の諦観のようなものが見える。

義貞が近江~越前に落ちて以降、
人肉食や胎児刺殺などの、ややグロテスクな表現が増えてきているのも、
戦いと殺戮に明け暮れたこの時代への、
作者の冷めた感覚のためのような気がしてならない。

話は変わるが、なぜ南朝側が敗北せざるを得なかったかを考えるに、

正成や義貞という武士は、局地戦(バトル)においては、
おそらく右に出る者はいないほどの「戦争のプロ」だったのに対し、

尊氏という人は、武士としての腕前はそれほどではないが、
大局を見据えた駆け引きに長けていた、

その差こそが、決定的な勝負の分れ目だったと言っていい。

そういう意味では、足利尊氏という人は、源頼朝タイプの、
武士というよりも政治家としての手腕に優れている人だったはずで、
我々が歴史の授業で習うイメージとは異なる発見ができるのも、
また興味深い。

さて、現在発刊されている岩波文庫版は次の(四)までである。

一気に読み進めてしまうか、
それとも時間をおいてじっくり攻めるのか。
読む側にも戦術が要求される局面になったきたようだ。