寺田寅彦は、このブログでもたびたび紹介してきたが、
世界レベルの科学者でありながら、
文筆・音楽演奏・映画評論等の幅広いジャンルで活動してきた彼の、
特に音楽的要素に焦点を当てて、
伝記風にまとめられたのが本書である。
寅彦が熊本の五高時代にヴァイオリンを購入して練習した様子は、
師・漱石の「吾輩は猫である」の終盤部分で紹介される寒月君のエピソードで御馴染だが、
そこから様々な挫折などを経ながらも、
最終的には音楽にほぼ無関心であった、
漱石の長男をプロのヴァイオリニストにさせるまでの道のりが、
寅彦の文章を随所に散りばめながら、とても丁寧に著されている。
特に、寅彦同様に「ヴァイオリンを弾く物理学者」であったアインシュタインが来日した際の演奏を聴いて、
自らも発奮して「クロイツェル・ソナタ」にチャレンジするあたりのくだりは、
まるで物語を読んでいるかのような感覚になる。
妻に二度も死別し、私生活は決して順風満帆とはいえなかった寅彦が、
東京帝大教授という公務の傍ら、いかにして音楽と自らを結び付けていったのか、
単に彼の作品を読んだだけでは見えてこない部分も明らかになる。
明治の教養人は、多かれ少なかれ、前時代と近代との内面的な葛藤を抱えていたわけだが、
科学と音楽に惹かれる西洋的な部分と、俳句や和歌に惹かれる日本的な部分という二面性を、
ここまで明確に(目に見える形で)表現した人物は、あまりいないかもしれない。
(次に思い浮かぶのは、荷風ぐらいか)
あらためて、やはり寺田寅彦は魅力的だと思う。
これは楽器を弾く自分としての意見であるが、
楽器の演奏というものは、力学の集成であると思っている。
弦楽器にせよ、管楽器にせよ、鍵盤楽器にせよ、
楽器に対して、どれぐらいの力をどのように加えるかによって、
ひとつひとつの音の表情が、全く変わってくる。
物理学者・寺田寅彦が音楽演奏に惹かれた理由のひとつは、
そこにあったのだろう。
科学・音楽・文学の三位一体を目指した寅彦を研究することで、
まだまだ様々な発見があることは間違いない。