現在の国立文楽劇場にあるほとんどの首(かしら)を制作した、
文楽の人形師といえば、まさに大江巳之助のこと。
彼の一生や、その仕事観について、
息子さんが綴ったエッセイ。
文楽といえば、
三味線、太夫、人形遣いのいわゆる三業からなるわけであるが、
裏方ともいえる、人形師にスポットが当たることはほとんどない。
けれども、容易に想像できる通り、
すぐれた人形師によるすぐれた人形があるからこそ、
魂の入った「演技」が生まれるわけで、
人が演じる歌舞伎では決して表現することのできない、
あの人形ならではの表情や姿態は、
まずは人形師の仕事から始まるといっていい。
その人形師の中でも唯一無二といっていい大江巳之助について、
身近な立場で語られた本書は、そもそも貴重である。
そして何よりも、文章がいい。
適度な感傷と客観性があって、
人形の表情が瞼裏に浮かび上がってくるような迫真さがある。
思えば、僕が文楽の魅力に憑りつかれたのは、
大学の授業で観た「曽根崎心中」、
その時一番印象に残ったのは、太夫でも三味線でもなく、
あの人形の表情だった。
この世のものならざる美しさとはこういうものかと、
まじまじと見入ったことを、今でも覚えている。
そのときのことを懐かしく思いながら、
読むことができた。