本というものは、
学術書であれ、小説であれ、「本」ならば、
一本の筋がなくてはならないと思っている。
一本のメインストリートがまずあって、
あとは途中で休むもよし、
脇道を作ってまだ戻ってくるのもよし、
ただ、メインストリートだけは不可欠であり、
それがなければ雑然とした事象の羅列で終わってしまう。
それは僕のこだわりでもなんでもなく、
暗黙のルールというか礼儀作法のようなものであって、
もちろん、そうでない本があっても構わないが、
そういう本は読後の印象が薄くなって当然である。
コース料理に喩えるならば、
一皿めが「寿司」で、二皿めが「北京ダッグ」で、三皿めが「パスタ」で・・・
そんなコースがあっても非難はできないが、
好んでそのテーブルに着くことはないだろう、ということだ。
さて、この本の内容について考えた場合、
著者の最も主張したいこと(メインストリート)は、
自分はヨーロッパ各地の古代遺跡を巡って「記号」を集め、データベース化し、
その結果、32種類の記号へと集約できた
ということであるのは、間違いがない。
であれば、当然ながらそのデータベースについての詳細、
母数はどれぐらいなのか、地理的にどう分布しているのか、
32の記号に数的な偏りはあるのか、
分類に困ったのはどのような記号なのか、
といった、「前提」をまず披露し、そのあとに、
それぞれを取集したときのエピソードや、
それらは誰が何の目的で記したのか、といった考察が続くのが本筋だろう。
僕がとにかく不満だったのは、
本書ではしきりに「データベース」という語を連発しているにもかかわらず、
ではその「データベース」が何たるかを、全く語らないことだ。
変わり映えのしない洞窟の苦労話が延々と続き、
時折、これは文字なのか、いや違う、といった考察が顔を出す。
もちろん、ひとつひとつの中には面白いエピソードもあるのだけれど、
肝心な「前提条件」が提示されないままなので、
何だかとても損をしたような気分にさせられてしまう。
洞窟「画」ではなく、「記号」であるというのは、
今まであまり注目されていない分野であるし、研究価値は高いものだと思うが、
であるからこそ、非常にもったいなく感じるのである。
せっかくの食材を、もっとうまく料理してほしかった。