「疑惑の科学者たち: 盗用・捏造・不正の歴史」(ジル・アルプティアン)

 

真実を追求するという科学の歴史の裏には、
ある意味当然ながら、その真実をねつ造した者たちの歴史もある。

もしくは、真実に到達したものの、
その過程においてフェアではない行為が行われた場合もある。

まだ記憶に新しい事例では、あの小保方晴子。

また、パストゥールのような伝説的な偉人にも、盗用があったとし、
アインシュタインでさえも、現代の基準で判定すれば「アウト」だという。

その他にも科学の各分野における代表的な不正を数々紹介しているのだが、
それらを読んでいるうちに、

不正は確かに悪いことではあるが、
きわめて人間的な行為であり、それを第三者にとやかく云う資格が果たしてあるのか、
という気持ちになってくる。

結果が捏造であるなら、追試で再現できなければそれまでのことだし、
過程においてアイデアを盗んだのだとしても、
それを超える偉大なる結果に導ければ、世間的には恩恵の方が大きい(アインシュタインの例)。

なので、不正とは善悪ではなく倫理の問題であり、
そのような問題に対して、当事者ではない我々一般人がどのような態度で接するべきか、
戸惑ってしまうわけである。

決して不正を庇うわけではないのだが、
我々だって気付かずうちに似たようなミスを犯すことは多々ある。

果たして科学だからこそ許されないのか、
それとも我々の科学に対する見方の問題なのか、

いろいろと考えさせることが多い一冊だった。

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