泥と糞尿の臭いに包まれた、19世紀ヴィクトリア朝のロンドン。
ソーホー地区で発生したコレラに立ち向かう、
無口な医師と善良なる牧師。
この本は、疫病という見えない敵に立ち向かう科学の力と、
その背景にある都市や行政の在り方を、
物語風に語った、科学エッセイである。
小説以外の文庫本を読んで、
これほど興奮したのはどれぐらいぶりだろう。
本書のあとがきに掲載されているシアトル・タイムズの書評が、
それを見事に表現してくれている。
「医学の謎解き、いまの言葉でいうなら疫学の探偵物語だが、
それだけではない、この本は微生物の世界の経済学と社会生態学を語る話であり、
ディケンズ時代のロンドンを語る話であり、
公衆衛生の概念の誕生と、その初政策を語る話でもある」
19世紀の半ば、大都会のロンドンで次から次へと人が死んでゆく。
目に見えない真犯人の大本命は「汚染された空気」であったが、
のちに「疫学の父」と呼ばれることとなるジョン・スノーと、
地域密着の副牧師であったヘンリー・ホワイトヘッドが、
コレラが蔓延する街の一軒一軒をたずねて回り、
科学的推測と、見事なプレゼン手法により、
ついに「井戸水が菌に汚染されていること」がコレラの原因であることを、
世間に知らしめることに成功する。
データを集め、緻密に分析し、
それを目に見える形でプレゼン資料化するという手法は、
まさに現代ビジネスにも当てはまるものであり、
医学的な偉業であるのはもちろん、
(大袈裟かもしれないが)文化としてのパラダイムシフトの事例としても、
十分通用するものだ。
そしてこの本の優れているのは、
単に19世紀の回顧録にとどまるのではなく、
「エピローグ」として、都市とはひいては文明とはいかにあるべきか、
という問題にまで斬りこんでいる点である。
それにしても、ダーウィンが『種の起源』で進化論を唱えたのと前後して、
その進化のセオリーを超越した病原菌が猛威を振るったというのは、
歴史の皮肉としていいようがない。
あらゆる角度から、文明、
そして生命の意義を追求した名著だと思う。