養老先生の1990年前後のエッセイを集めた本。
前半は、解剖医の立場から「心と身体」の問題を述べたものが中心となっている。
英語で死体のことを「body」と表現することを初めて知ったとき、
ものすごく違和感があったことをいまだに覚えているが、
日本人と西洋人に「身体観」の違いについて書かれている箇所を読んだとき、
あぁ、なるほどと思えた。
要するに日本人は、「心」と「体」を切り離して考えることができない。
だから我々日本人にとって「死体」は「生体」とは違うものなのであり、
少年期の僕が、英語では「死体」も「生体」も「body」であることに納得できなかった理由は、
おそらくそこにある。
後半部分はさまざまなテーマからなるのだが、
特に僕が感心した(などというのはおこがましいが)のは、
『谷崎を読む』『芥川の身体観』という、
彼らの作品・文章を「身体感覚」の観点から語ったもの。
特に『羅生門』の、あの有名な、
死体の髪の毛を抜いている老婆に対し、下人が刀を抜いて襲う場面。
あれは、老婆は江戸以前の身体感覚の持ち主で、
下人は江戸以降の、つまり我々と同じ感覚を持っていることを表現している、
という説明を読んで、
そういう解釈は(僕を含めた)文学畑の者には絶対無理な話で、
目から鱗とはまさにこのことだと思った。