「とくとご覧ください」

などというときの「とくと」は、
「じっくりと」というような意味の、
副詞だろうということは分かるが、

「ご覧ずる」とか「見る」といった、
動詞にしか付かないっぽいことと、
語源もよく分からないことが、
電車の中で急に気になり、

居ても立ってもいられなくなったので(座席には座れなかったが)、
帰宅して早速調べてみた。

こういうときまずは、
『広辞苑』にたずねてみる。

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・とくと(篤と)
よくよく。念を入れて。つらつら。とっくりと。
狂、武悪「とくと分別をして見さしませ」
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例文として引用されている『武悪』の例は、
「分別をす」を修飾しているようにもとれるが、
ここはやはり「見」に付いていると考えてよいだろう。

次に、『岩波古語辞典』を引いてみる。

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・とくと<トクはトクリのトクに同じ>
念を入れて。十分。よくよく。
「明けやすき夜(世)は、とくと治まる」(俳・寛永十三年熱田万句)
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ここでは「治まる」という動詞に付いているものの、
意味的には『広辞苑』と変わらない。

ただ、「トクはトクリのトクに同じ」とあるので、
「トクリ」の項目を見てみると、

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・とくり
念を入れるさま。よくよく。とっくり。
「とくりと見れば、かの僧、」(碧岩抄)
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となっていて、
要するに「とくと」と「とくりと」は、
同じ意味で使われていたのが分かる。

ここまでは何の解決にもなっていない。

次に小学館の『古語大辞典』にあたってみる。

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・とくと(篤と)
よくよく。念を入れて。とっくりと。
「とくと心を静め、」(好色一代男)
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ここまでで分かったことは、

1.「とくと」という副詞が修飾する動詞は、
古語においては制限がなかった。

2.漢字としては「篤と」が充てられている。

3.「とっくりと」という語と同義であり、
語源も同じ可能性が高い。

ということだ。

続いて、
『古語大辞典』で「とっくりと」を引いてみる。

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・とっくり<「篤と(とくと)」からの派生>
物事の徹底するさま。念を入れて。十分に。「とっけり」とも。
「今一度とっくりと見定めてから」(鷺流狂言・抜殻)
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ここでは「とくと」⇒「とっくりと」と変化した、
と説明されているが、

現代語では「とくと」は用いるが、
「とっくりと」は使わないのが疑問である(少なくとも東京語では)。

それに語形の上からも、
「とくと」⇒「とっくりと」という変化が、
果たして起こりうるのか。

ここは『岩波古語辞典』のように、
両語は語源を同じくする、
ぐらいに考えておいた方が無難だろう。

正直、「とっくりと」の方はどうでもいいので、
「とくと」に的を絞ろう。

ここまできて疑問に思うのは上記の「2」、
つまり「とくと」=「篤と」でよいのかどうか、
ということだ。

「とくと」という副詞の原型は、
形容動詞「とくタリ」の連用形であったことは疑いない。

だとすると、
元々は「篤タリ」だったということか。

ここでいよいよ、
最終兵器の『諸橋大漢和』の登場である。

巻八、「篤」の項を引いてみる。

例文を隅々まで確認したものの、
「篤」を「あつシ」と訓むであろう例はあるが、
「とくタリ」と訓めそうなものは見つからなかった。

ということで、
結局モヤモヤは残ったわけだが、

おそらく「とくと」は「篤と」であることは、
間違いないのだろう。

ただその原型であるはずの「篤タリ」という例が、
僕の乏しいデータベースでは見つからなかった。

引き続き、今後の課題とするしかない。

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