「風土記の世界」(三浦 佑之)

大学時代は古典文学を専攻していた僕でも、
「古事記」「日本書紀」「万葉集」と比べ、
「風土記」に触れる機会は、それほど多くない。

それもそのはずで、
当時60ほどあった国のうち、

「風土記」が残っているのは5か国、
それに加えてわずかな逸文があるにすぎない。

日本全国の「風土記」が残っていたとしたら、
民俗学的にも、国語・文学的にも、もちろん歴史学的にも、

それはそれは貴重な史料になるはずなのだが、
しかし、残っていないものは仕方がない。

であれば、わずかに残っているものから、
古代日本の姿について、少しでも類推してみよう、
というのが本書の主旨である。

前半は、「風土記」とは何かについて述べている。

「記紀」というけれど、
「古事記」と「日本書紀」は似て非なるものだとし、

「風土記」は、もともと「日本書」地理誌、
つまり「日本書紀」とのつながりの中で企画されたものだと、
推定する。明解だ。

そして後半は、
残された5つの「風土記」について具体的に解説することで、
「風土記」の性格をさらにはっきりと浮彫にしていく。

特に見事なのが「出雲国風土記」の解説で、
宍道湖を挟んで、東側は「親ヤマト政権」、西側は「土着勢力」としたうえで、

編纂にたずさわった「出雲臣」は東側のグループであり、
さらに「日本書紀」には出雲神話がほとんど載せられていないことから、

ヤマト以前に栄え、ヤマトに服従を余儀なくされた、
出雲国の特殊な事情が、「出雲国風土記」から読み取れるとする。

さらには北陸の「越の国」とを結ぶ「日本海ネットワーク」の存在など、
古代史にメスを入れるような鋭い考察は、
読み応え十分である。

「古事記」「日本書紀」「風土記」「万葉集」を、
それぞれ精読することはもちろん大事なのだが、

各々で共通する部分、異なる部分を明確にすることで、
古代日本の姿を推察しようというアプローチは、

まさに上代文学研究における最終地点といってもいいだろう。