最初におことわりしておくと、
この本はオカルトでもホラーでもなく、
異文化同士の接触を生々しく描いた、
文化人類学的ルポルタージュである。
1961年、あのアメリカの大富豪ロックフェラー家の御曹司である、
マイケル・ロックフェラーが、
ニューギニア島での美術品収集の旅の最中、
乗っていたボートが転覆し、
行方不明になるという事件が発生する。
アメリカはもちろん、
ニューギニアの統治を目論むオランダや、
近隣のオーストラリアなど、
あらゆる人員と手段を動員して懸命の捜索が行われたが、
結局マイケルは発見できず、
最後は、転覆したボートから岸に向かって泳いでいったという、
同行者の証言から、
公的には、マイケルは溺死したということで、
一応の解決となった。
しかし、事件直後から、
マイケルは現地民に殺された上で食べられたのだという噂もあり、
事件から50年後、
現地民たちの思想や思考を知ることで、
事件の真相を探るべく、
彼らと寝食を共にした著者により書かれたのが、
この本である。
綿密な裏付けをもとに描かれた50年前の「過去」と、
著者が調査を行う「現在」とが、
交互に描かれるという構成であり、
登場人物(現地民やオランダ人関係者)が多いうえに、
名前も憶えづらく、
そして何よりも長い!ために、
全編を読み通すには、正直かなり骨が折れた。
けれどこの超力作から読み取れたこととしては、
ニューギニアの現地民にとって、カニバリズムとは、
喰う側が喰われる側と一体になる行為であり、
そして何よりも本事件の一番重要な点としては、
白人資本主義の大代表ともいえるマイケル・ロックフェラーが、
彼等から見て「未開の」民族に食され、消化された
という、その生々しいギャップなのではなかろうか。
マイケルは、あり得ないほどの大金をつぎこんで、
現地民による美術品を購入しまくる。
(それらは現在、メトロポリタン美術館に陳列されている)
それはまさに、経済力と軍事力とで、
当時の世界を席巻していたアメリカの姿そのものであるわけだが、
けれどそんな巨大な力も、
未開の民の野蛮さと貪欲さの前では、
あまりにも無力であり、
命からがら岸に泳ぎ着いたマイケルを待っていたのは、
首を狩られ、内臓をむしり出され、
脳髄を啜られるといった、
まさに文字通りの「完膚無き敗北」であった。
いや、敗北という表現は適切ではないかもしれない。
それはもはや闘いという次元を超越しており、
現地民にとっての食人という行為は、
聖なる一体化であり、
思想や宗教ともまた異なる、
彼らの存在価値そのものだったのであろう。
結局、著者は、
マイケルが殺され、喰われたことを確信はするが、
決定的な証拠や証言を得ることができずに、
本書は終わっている。
それは最後の場面に描かれているとおり、
聖なる行為は、同時にに禁忌(タブー)でもあるといった、
文化や伝統の二面性が、
ここでもまた強く意識されてきた結果なのだろう。