アガサ・クリスティー 作、「ゼロ時間へ」(ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
原題は「Towards Zero」で、
この「Zero」を「ゼロ時間」と訳すことには、
やや抵抗がないわけではないが、

まずはこの「ゼロ時間」とは何か、
物語の終盤で登場人物により語られた言葉を、
そのまま引用しよう。

殺人事件のニュースを読んだり、
あるいは殺人を扱った小説を読むとき、
読者はふつう殺人事件が起きたところから出発します。
ですが、それはまちがいです。
殺人は事件が起こるはるか以前から始まっているのです!
殺人事件は数多くの様々な条件が重なり合い、
すべてがある点に集中したところで起こるものです。
(中略)
殺人事件自体は物語の結末なのです。
つまり、ゼロ時間。」

要するに、この物語の肝は、
犯人が目的を遂げるための、
動機や計画にあり、

途中で起こった殺人事件ですら、
目的ではなく手段である、

ということなのだが、

まぁ正直、あまりそこにこだわらなくても、
普通に読めば、何ら問題ない。

トリックや、伏線の回収、
数回に渡るドンデン返しなど、

ミステリーとしての出来映えは、
もちろん一級品なのだが、

僕が何よりも感心させられたのは、
作者晩年の作品にふさわしく、

人物の描写、
特に女性の心理描写が優れている点だ。

物語の中心になるのは、
非の打ち所のない一人の青年。

彼が現在の妻と、離婚した妻、
そしてそれぞれの女性に思いを寄せる2人の男性らと共に、

彼の育ての親(だったかな)の老婦人の屋敷で、
数日を過ごす、という設定なのだが、

彼らや屋敷の住人を含めた、
登場人物間の、恋愛事情を含めた愛憎劇が、
何と言ってもこの物語の中心で、

この部分を読むだけでも、
通常の小説として読み応え十分だと思う。

そんな複雑に絡み合った人間関係の緊張感の中で、
そこに紛れた真犯人による、
綿密に練った殺人計画が遂行される、
というのがこの物語の大枠で、

ミステリーの基本を押さえながら、
文芸作品としての厚み・豊かさを増した、
傑作といえよう。