「大和朝廷」といえば、
我々は小学校以来の歴史の教科書で、
あたかも我が国の礎を築いた、
絶対的な存在として教えて込まれてきた。
けれども、歴史とは必ずしも事実ではなく、
時の権力者によって描かれた、
「ストーリー」であることを忘れてはならない。
だがそれは、
子供の頃からそのような「ストーリー」を、
刷り込まれてきた我々日本人には、
もはや克服できず、
本書の著者のような、
海外からの眼を以てしなければ、
気付くことはできないのかもしれない。
本書のテーマを一言で述べるならば、
「ヤマト」を相対化すること。
「ヤマト」を絶対視する『日本書紀』、
「ヤマト以外」との関係性の中で、
「ヤマト」を描く『古事記』、
そして、「ヤマト」のアンチテーゼとしての、
「出雲」の立場から、
「ヤマト」を語る『出雲国風土記』、
この3つの書物を、
文字通り三次元的に読み解くことにより、
今まで、神話という陰に隠れて、
偽りの(?)ベールを纏っていた、
「ヤマト」の実像を、
立体的に浮かび上がらせるのが、
本書の狙いである。
『出雲国風土記』では、
出雲の神々は、天孫(=天皇家の祖先)よりも、
上位の存在として描かれていると、
著者は断言する。
それは「ヤマト」の立場で書かれた、
『古事記』『日本書紀』を読むだけでは、
決して見えてこないことであり、
やや極論に走っている気がしないでもないのだが、
国語学的な視点も交えながらの検証は、
一読に値するだろう。
歴史に限らず、
物事を相対化することは重要で、
与えられた材料を多角的な視点から検証する、
本書のような姿勢こそが、
まさに「文学」であり、
文の奥に隠された真意・真実を探ることは、
おそらく遺跡の発掘にも劣らない、
価値のある、そしてワクワクする作業であろう。