「travel」は「旅行」だが、
「travail」だと「苦労」という意味になる。
昔の旅は、それこそ命懸けだった。
灼熱の砂漠、極寒の高山、山賊、異国の兵…。
玄奘が踏破した道程は、
現代の研究隊をもってしても、
なお越えられない道があるという。
それを往復である。
「西遊記」に出てくる命を狙う魔物どもでは、
物足りないぐらいの辛苦であったに違いない。
そしてさらに驚くべきは、帰国してからの所業である。
翻訳した仏典の数、およそ1,300。
17年の歳月をかけて漢訳したこれらの経典がなかったならば、
中国・日本における仏教の発展はあり得なかっただろう。
そこまでひたすら仏法に帰依し、
ただ一つの目的に向けて己の心身を捧げることができた玄奘のことを考えると、
毎日自堕落な生活を送っている自分が、
同じ人間として恥ずかしくなるぐらいである。
玄奘が高僧たり得た理由の一つには、
語学の才能が挙げられると思う。
旅の途中で立ち寄った、
中央アジアの国々のさまざまな言語や文字について、
玄奘が残した記録は、
言語学的にも貴重な文献となっているという。