日本人の音楽観には、
いわゆるクラシック音楽の価値を必要以上に高くみるきらいがある、
一方で、子供の頃は誰もが歌えた童謡が、
大人になると見向きもされなくなる、
実は童謡というのは世界でもユニークなジャンルであり、
その音楽的価値を再度見直してもいいのではないか、
この本の主張をまとめると、こんなところだろう。
全く同感である。
戦前・戦後いずれのものにせよ、童謡には名曲が多い。
それが、僕のように日々音楽に接している者でさえも、
大人になると童謡を聴いたり弾いたりする機会がなくなるというのは、
寂しいというか、もったいないことなのかもしれない。
例えば大人向けの楽器教本を見ても、
ベートーヴェンやシューベルトはあるけれど、
「チューリップ」や「おもちゃのチャチャチャ」などはない。
子供向けの曲なんて、、、という抵抗感を持つ人もいるのだろうが、
音数の少なさ、親しみやすいメロディという点では、
実は童謡こそが、(大人にとっても)音楽教育に最もふさわしいものであるのかもしれない。
そして不思議なことに、童謡は民謡とは違ったかたちで、
我々日本人の心をくすぐるのである。
例えば、「兎追いしかの山~」(「ふるさと」)という唄があるが、
都会で生まれ育って、山でウサギを追いかけた経験などない人であっても、
この曲を口ずさむと、何となく懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
それも童謡の魅力のひとつだろう。
この本の最後の章は、著者と谷川俊太郎の対談になっていて、
そこで谷川が面白いことを言っている。
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今はポエジーというものが拡散しちゃっているんですね。
昔はそれこそ詩そのものとか、ぎゅっと凝縮されたものだけだったのが、
今ではポップスの詩はもちろん、コミックとか、ファッションの世界にも拡散して存在している。
今、雑貨屋さんが流行っているじゃないですか。
そんなかわいいアクセサリーの類にもポエジーがある。
言葉になった詩ではなくて、みんな自分の中の詩に対する欲求を
身の回りの簡単に手に入るもので満足させている時代なんです。
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現代のポップカルチャーを否定するわけではなく、
日本人の「失われた心」の行方をズバリ言い当てたのは、さすがである。
これは詩や音楽だけではなく、日本文化すべてに敷衍できるものだろう。