本当の知識人・教養人となると、理系も文系ももはや関係がない。
特に、一流の科学者の書いた文章には、
含蓄のあるものが多いし、
寺田寅彦や中谷宇吉郎の例を出すまでもなく、
科学と文学の両分野で著名になった人物もいる。
湯川秀樹は言わずと知れた、
素粒子物理学の分野でノーベル賞を取った超一流の科学者であるが、
その湯川が愛読した文学書についての、
感想やエピソードを集めたのがこの本である。
「荘子」「墨子」や「唐詩選」など、
東洋思想にやや偏った傾向があるのは、
湯川の専攻が素粒子物理学であったことと、無縁ではあるまい。
最先端の科学は、マクロにせよミクロにせよ、
最終的には「存在」を扱うことになる。
物質はどのようにしてできたのか、時間はどこで生まれたのか、
宇宙はなぜ誕生したのか、
このような問いと直接つながるのは、
アリストテレスに始まり西洋を支配したギリシャ哲学ではなく、
老荘思想などの古代中国哲学なのではないかと思っている。
白でもなく、黒でもなく、
しなやかに、そしてときには厳しく世の中を捉える視点は、
例えば電子を、波でもあり粒子でもあると捉える考え方と、
無縁であるとは思えないのである。
そんなこともあって、
科学者が読むと、この作品はこのように読めるのかと、
新鮮な思いもあったし、
「あめりか物語」や「山家集」、「海潮音」など、
ちょっと意外な作品もあった。
本当の意味での教養とは何たるかを、感じさせてくれる一冊である。