13世紀の前半、京を出発した作者が、
鎌倉に下った際の紀行文。
作者は、かつては鴨長明ともいわれていたらしいが、
年代が合わず、
全体が漢文書き下しの形式で書かれていることや、
内容の思想性からも、
『平家物語』の成立に深く関係する人物の手によるものだろう、
というのが通説になっているらしい。
さて内容については、例えば、
但極楽西方ニ非ズ、
己が善心ノ方寸ニアリ。
泥梨地の底二非ズ、
己が悪念の心地ニアリ。
というように、全編が漢文調で、かつ仏教色が濃く、
純粋なる紀行文と比べると、かなり退屈であることは否めない。
ただ興味深いのは、
目的地である鎌倉に到着しても、
そこで何かをしたかが書かれておらず、
旅の目的が良く分からないことである。
おそらく、政治的な理由もあり敢えて伏せたのだろう。
だが目的が曖昧であるがゆえに、逆に、
道中の描写が活き活きとしてくることもあるわけで、
思えば『土佐日記』や『更級日記』も、
紀行文という性格を持ちながらも、
作者が移動することには明確な「理由」があったのに対し、
この『海道記』には、作者の明確な意志が見えないからこそ、
紀行をそのものを堪能しているという点で、
中~近世的な作品といえるのかもしれない。
要するに、
目的ではなく「旅」という過程そのものを題材とした点で、
当時としては「新しい文学」だったのだと思う。