中世日記紀行集

伏見院に東宮時代から女官として仕えた著者による回想日記。

古典文学の女流日記というと、男女や親子関係など、
プライベートな悩みについて吐露したものが多い印象だけれども、

この作品は、著者自身の個性や人格を表現しながらも、
客観的描写に徹する部分が多くなっている。

伏見院が東宮時代の前半と即位後の後半という、
大きく二段構成となっており、

前半は、いかにも平和な宮廷生活ともいうべき、
作品中に頻繁に引用される『源氏物語』や『狭衣物語』のような、
優雅な世界が描かれ、

後半では、天皇即位時の各種の儀式や行事について、
関係者(今風に言うと「中の人」)の立場からの詳細な描写がメインで、
有職故実を知る資料としても価値があると思われる。

前半は、とにかく夜な夜な、
歌会だったり、音楽演奏だったり、舟遊びだったり、
読んでる方も楽しくなるようなエピソードが満載で、

中でも、同僚の女房である宮内卿の代わりに、
彼女の恋人への手紙を届けたところ、

彼にいきなり袖を掴まれて、
部屋に引きずり込まれそうになった場面なんかは微笑ましい。

何とは言はず文をさし置くに、袖をひかへて外さず。
恐ろしくあきれたる心地して浅ましけれど、
騒がぬさまにもてなして、さりげなくやはらすべり逃ぐるに、
隈なき月に見ゆらん後手も恥ずかしく・・・

といった具合である。

後半の最後は、自身の病気が重くなって宮仕えを退き、
(やや大袈裟ではあるが)死を暗示するような和歌で閉じられるわけだが、

しばらくは存命してこの日記を書き上げたのか、
あるいは、リアルタイムで記していた日記が、
病とそれに続く死によって終了したのかは、
ちょっと分からない。

ただ、この作品の冒頭が以下のような、
人生を儚むようなフレーズで始まっていることを考えると、
おそらく前者だったのではなかろうか。

いたづらに明かし暮す春秋は、ただ羊の歩みなる心地して、
末の露、本の雫に後れ先立つためしのはかなき世を、
かつ思ひながらも、得脱の縁にはすすまず、
みな生々世々に迷ひぬべき人間の八苦なるぞあさましき。

最後に。

京極派による『玉葉和歌集』『風雅和歌集』が、
二十一代集の中はもとより、
和歌史上で重要な作品であることは間違いないが、

その『玉葉和歌集』は、
著者が仕えた伏見院の命により、京極為兼が撰したものである。

この日記にも、わずかではあるが為兼が登場する場面もあり、
京極派周辺の動向を知ることができるという意味でも、
とても興味深い。