『源氏物語』の「若紫」巻の冒頭、
病気を患う光源氏に対して、ある人が下記のように勧める。

「北山になむ、なにがし寺といふところに、かしこき行ひ人侍る。
去年の夏も、世におこりて、人々、まじなひわづらひしを、
やがて、とどむるたぐひ、あまた侍りき。
ししこらかしつる時は、うたて侍るを、とくこそ試みさせ給はめ。」

ざっと意訳すると、こんな感じになる。

「北山の何とか寺に偉い修行者がいます。
去年の夏も病気が流行して、人々の祈祷が効かないことがありましたが、
(この修行者の祈祷によって)すぐに治った事例がたくさんございます。
ししこらかした時は面倒ですので、
すぐにでもこの修行者に祈祷してもらってください。」

勧められるままに光源氏は「なにがし寺」に出掛け、
そこで幼い紫の上と運命の出会いをすることになるのだが、
それはさておき、問題は「ししこらかす」という見慣れない語だ。

手元の古語辞典を八冊引いてみたのだが、
七冊はこの「若紫」の例のみで、

唯一、小学館の「古語大辞典」のみが、
下記の『梁塵秘抄』の例もあわせて載せていた。

おこり心地に煩ひて、
ししころかしてありけるに

そしてこれはたまたま、
二条良基の『小島のくちずさみ』という日記を読んでいるときに、
下記の例を見つけた。

いとど露の命も消ぬべき心地して、もの心細かりしかば、
よろづにまじなひ、年老たる大徳など語らひて、
さるべき符作り、加持などせしかど、なをおこたらず、
げにししこらかしぬるよと、思ひやる方ぞなかりし。

二条良基は、言うまでもなく古典の大家でもあり、
『小島のくちずさみ』自体、
『源氏物語』や『古今和歌集』からの引用が目立つ作品であるため、

上記の例は、病気である自らを、「若紫」巻の光源氏になぞらえて、
あえて「ししこらかし」という語を使ったのであろうことは、
想像に難くない。

とにかく、『源氏物語』にもわずか一例、
二十一代集や『狭衣』『伊勢』などの物語、
『大鏡』『増鏡』などの歴史物語を調べてみても用例が皆無であるため、

上記三例から「ししこらかす」の意味を推測するしかないのだが、
三例に共通しているのは、
病気」が「ししこらかす」という点である。

すると、我々は似た響きの言葉を、今でも使っていることに気付く。

「こじらす・こじらかす」である。

「病気をこじらす・こじらかす」といえば、
病気が治らずに長引くことであり、
手元の古語辞典すべてが、「ししこらかす」の意味として掲載している。

参考までに「古語大辞典」の説明を紹介すると、

「ししこらかす」は、アクセントから3つの部分に分けられると考えられ、
「し」「しこら」「かす」とするのが無難であり、
「しこる」とは病勢や事態が悪くなる意味とするのが自然である、

とのこと。

「こじらす・こじらかす」とはたまたま音と意味が似ているだけで、
何の関係もないわけだが、
結論としては、「ししこらかす」は、
「病気が長引く・悪くなる」ということでよさそうだ。

と思っていたところ、
念のため、日本古典文学大系の『源氏物語』で、
該当箇所の頭注を見てみると、何とこんなことが書かれていた。

「ししこらかす」は、源語梯に「シゾコナフ也」とあるのがよい。
「し(為)」は瘧の療治をする事。
「しこらす」「損なう・失敗する」などの意。
「しこらかす」としたのは「だます⇒だまかす⇒だまくらかす」などの類で、
「しこらす」の強調。
この語に「こじらかす」の意味はない。

ご丁寧にも「『こじらかす』の意味はない」と、
一般説を否定しているわけだが、

上に挙げた「古語大辞典」の説明と比べると、
問題は「しこる」の解釈であることが分かる。

「しこる」を古典文学大系のように、
「し損なう」の意に解釈できる用例としては、

わが背子が 来むと語りし 夜は過ぎぬ しゑやさらさら しこりきめやも

という『万葉集』の事例がよく挙げられるが、
「しこりきめやも」を「間違っても来るものか」(「やも」は反語)と解釈するなら、

「ししこらかす」と同様、「きしこりめやも」という語順になるのが、
自然ではないだろうか。

だとすると、この「しこりきめやも」は、
『古語大辞典』が解説しているように、

「しこる」は物事が勢い付く意味であり、
ここでは「いばる」「おごる」と解釈するのが良い気がする。

ただ『古語大辞典』が、

現代諸方言で「しこる」が茂る・勢いを加える・病気がぶりかえす・いばるなどの意で用いられている

と述べているのが正しいとすると、
今度は、『源氏物語』の「ししこらかす」という語のつながりが、
どうも不自然に思えてならないのである。

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話が複雑になってきた。

ここらへんで僕なりの結論を出そう。

「ししこらかす」が、
「し」「しこら」「かす」に分解できるのは、

「古語大辞典」も古典文学大系も同じであり、
ここに異論はない。

問題は「しこる」の解釈なのだが、
ポイントは「ししこる」という形で、
「しこる」が補助動詞的に使われている点だ。

そうなると、
この「しこる」は「~損なう」という補助動詞的解釈が正解であり、
古典文学大系の「療治し損なう」がベターな解釈ではなかろうか。
※ただし、「しこる」を補助動詞的に用いた事例が見つからない。

そして結局、意味するところとしては、
「療治し損なう」も「病気が長引く」も近しいので、
文脈の解釈としては問題にはならないのが、
せめてもの救いである。

『小島のくちずさみ』はもちろん、
『梁塵秘抄』も『源氏物語』の表現を念頭においていると考えると、

もしかしたら『源氏物語』の「ししこらかす」というのは、
誤記である可能性はないだろうか。

だとすると、他に用例がないのも頷ける。

いずれにせよ、事の真相は紫式部のみぞ知るところである。