越後府中(今の直江津辺り)に滞在中の、
師・宗祇を訪ねた宗長が、
病身の師とともに草津、伊香保、江戸、鎌倉を経て、
箱根にて宗祇の死に立ち会い、
哀しみの中で駿河へ戻る、という紀行文。
印象的な記述が二つあって、一つめは、
「富士をいま一たび見侍らん」
という病気の宗祇の願いを聞いて、
越後から信濃路を南下し、
宗長は草津、宗祇は伊香保という、
「名所の湯」にそれぞれが留まるという場面。
そして二つめは宗祇臨終のくだりで、
「ただ今の夢に定家卿に会ひたてまつりし」
と言う宗祇が、
「玉の緒よ絶えなば絶えね」
と、定家ではなく式子内親王の歌を吟じるのが、
この歌の意味や、定家と親王の関係なども絡まり、
何とも複雑な思いにさせる。
そして最後は、
「ながむる月にたちぞうかるる」
という句を沈吟し、
「我は付けがたし。皆々付け侍れ。」
という言葉とともに宗祇は息を引き取る。
師の死の直後に、まず宗長が思い浮かべた、
旅の世に 又旅寝して草枕 夢のうちにも 夢を見るかな
という慈円の歌が、余韻となって読後も残る。