思わず~してしまう、
気付いたら~していた、
というような日常的な無意識の行動から、
泥酔時に普段と真逆の言動をしてしまう
夢遊病状態で犯罪を犯してしまう
というような特殊な行動まで、
どうやら我々の中には、
「自分が知らないもう一人の自分」
がいて、
そしてその「もう一人の自分」が、
本来の自分の意志とは関わりなく、
ちょいちょい顔を出すことに、
多くの人は、
薄々気付いているに違いない。
その「自分の中のもう一人の自分」の正体を、
脳や神経の仕組みや機能から、
科学的に解明しようと試みているのが、
本書である。
僕はいま分かりやすく、
「もう一人の自分」という表現をしたが、
著者によれば、
それは一人どころではない。
著者は脳の各部位を「政党」にたとえ、
複数の政党が様々な行動を訴えるなかで、
たまたまそのときの「与党」が主張した行動が、
実際の行動として採用されることになる、
と説明している。
我が国の政治のように、
だいたい与党というのは同一であるから、
自分の行動は大抵安定し、
それが「本来の自分」であるかのように錯覚してしまうが、
何かのきっかけで「野党」の行動が採択されると、
「本来の自分」とは違った行動を取ることになり、
それに周囲のみならず、
自分自身も驚かされることになる。
ただ気をつけなければいけないのは、
「与党」だけが「本来の自分」というわけではなく、
「野党」であっても、
登場回数が少ないというだけで、
「本来の自分」には違いないということだ。
厄介なのは、
普段の「与党」以外のどの「野党」が、
いつどのタイミングで出現するか、
がまったくわからないということ。
薬物やアルコールが原因の場合もあるし、
脳の損傷や病気がきっかけになりうるし、
それ以外の「平時」であっても、
我々の意識とは別に、
「各党による瞬時の論争」は常に行われているらしい。
要は、自分は自分をコントロールできている、
というのはまったくの思い込みであって、
誰しもが無意識のうちに、
(想定外の)行動を取ることは多々あるのであって、
「自分は意識的にその行動をとった」
というのは、「後付」の解釈なのである。
このような内容を、
学術的な記述だけではなく、
多種多様な具体例を挙げながら説明していくので、
実に明快で読みやすい。
これを読めば、
他人の行動のみならず、
自身の行動に対しても、
寛容になれるというか、
理解を示せるようになる。