ユークリッドの5番目の公準は、
本人も認めていたと言われる通り、

第1~4の公準と比べると、
かなり冗長である。

1つの線分が2つの直線に交わり、同じ側の内角の和が2直角より小さいならば、この2つの直線は限りなく延長されると、2直角より小さい角のある側において交わる。

これをよりシンプルに表現したのが、
「プレイフェアの公理」というやつで、

平面上に直線と、直線上に存在しない点が与えられたとき、点を通り直線に平行な直線は与えられた平面上にたかだか1本しか引くことができない。

こちらのバージョンの方が、
おそらく教育現場ではメジャーであって、
自分もこの形で習った記憶があるのだが、

それにしても、
ここにある「たかだか一本」という表現に、
学生時代から強烈な違和感を覚えている、

というのが、今回の主題である。

この「プレイフェアの公理」は、
英語では、以下のように表現される。

In a plane, given a line and a point not on it, at most one line parallel to the given line can be drawn through the point.

「at most」は英和辞典には必ず、
「せいぜい」とか「たかだか」という和訳があるので、

「たかだか一本」という日本語も、
それに倣ったことは明白である。

しかし、「at most」を、
オックスフォード英英辞典で引くと、

「as a maximum」とあるので、
「最大で」というぐらいのニュアンスであるのに対し、

「せいぜい」とか「たかだか」という日本語の場合、

「僕はせいぜい1,000円しかもっていない」
「あのホールはたかだか500人しか入らない」

というように、
「最大で」というニュアンスのみならず、

1.どこかネガティブなイメージがある
2.数値に幅がある

という特徴があるのではなかろうか。

「1」については、
「たかだか」や「せいぜい」が、
ほぼ否定文で使われることから明らかであるし、

「2」については、
「せいぜい1,000円しかもっていない」が意味するのは、
「900円~1,100円ぐらいの所持金である」ということだ。

あらためて日英の文を比較してみると、

英語の方は、
「最大で一本引ける」と肯定文であるのに対し、

日本語の方は、
「たかだか一本しか引けない」と否定文になっており、

どうやら違和感の原因は、
この辺りにありそうだ。

ここからは想像であるが、
おそらく、この「プレイフェアの公理」は、
英語を日本語訳したのだろう。

その際に、「at most」=「たかだか」と、
機械的に置き換えたため、
全体として否定文にせざるを得なかった、
というのが真相ではないか。

そして、「数値の幅」の問題。

与えられた点を通って、
与えられた直線と平行な直線は、

引かないか、それとも1本だけ引くか

の2択であって、
選択肢としての幅は存在しない。

その意味でも、
「たかだか一本」という表現は、
やはりおかしいと言える。

さて、「プレイフェアの公理」を、
自分なりに自然な日本語で表現すると、
以下のようになろうか。

平面上に直線と、直線上に存在しない点が与えられたとき、点を通り直線に平行な直線を与えられた平面上に引くとするならば、ただ1本のみ引くことができる。

「1本しか引けない」
としてしまうと強すぎるため、

「引くとすれば」
という条件を付けることで、

引かないという選択肢の含みも、
もたせるわけである。