女子、いや助詞の扱いは、とても難しい。
「豚に真珠」
「馬子にも衣装」
前者と後者は、「も」という助詞が入るだけで、
ほぼ意味が逆転してしまっている。
「豚にも真珠」
「馬子に衣装」
とすれば、逆のことわざとしてそれぞれ使えそうだ。
「今年も、もう5月だ」
という表現は日常的に使うが、実はこの「も」も難しい。
もし外国人に、「今年は」とか「今年が」ではなぜダメですか?
と聞かれても、即座に納得にゆく解説をすることは、至難の業である。
国語辞典で「も」を引けば、それこそ色々な意味が出てくるが、
一語(一字)でそんなに多様な語義を持っているということよりも、
なぜそのような、「なんでも屋」的な存在になってしまったのか、
の方が気になる。
というのも、古語においては、係助詞の「も」というのは、
それほど多くの意味はないわけで(少なくはないが)、
現代語の「も」のような奇怪な状況を生み出したのは、
まさに生き物である言葉の生命力か、何か。
別にダジャレではないが、まさに言「葉」というぐらいで、
蔦がうねうねと伸び広がるように、
言葉というものが、まるで植物の如く、
自らの存在を拡張してゆく様が、感じられるのである。