進化学というよりも、統計学に近い内容かもしれない。
すなわち、我々は、与えられたデータを、
誤って解釈してしまうことがいかに多いかということを、
「メジャーリーグで四割打者が消滅した理由」を喩えとして、
説明したのが本書である。
グールドの考えとは一致しないかもしれないが、
データの扱いというのはとても難しく、
全く逆の解釈を生むことも可能だ。
例えば、10回の抜き打ち試験を受けたとする(100点満点)。
10回のうち、9回は10点、1回は90点だったとする。
これをどのように解釈するべきか?
解釈1:平均点は18点だね。だから18点分の力はある。
解釈2:最高点は90点だね。だから君には90点分の実力があるんだよ。
解釈3:ほとんどが10点じゃん。だから実力はたった10点なんだよ。
こんな単純な例でさえ(いや、単純だからこそか)、
主観によって、解釈がバラけてしまう。
(もし自分の子供がこの点数を取ったら、どの態度で接するべきか!)
そして何よりも気にすべきは、ここには「100点満点」という越えられない壁があることだ。
(これが1000点満点であれば、解釈はまた変わってくる)
生物の進化に視点を移してみよう。
どの時代にも「トップランナー」と呼ばれる種が存在した。
節足動物、魚類、両生類、爬虫類・・・、そして現代はヒト。
トップランナーは次々と出現するが、地球上で最も栄えているのは、
太古から変わらず、バクテリアである。
つまり、抜き打ち試験を行うと、毎回ほとんどが10点であるが、
たまに、60点とか70点を取ることがある。
ただし、統計上はあくまでも、「ほぼ毎回10点」という状況なのだ。
(バクテリアを10点にたとえたのは、何も彼らが劣っているという意味ではない)
「突出した例外的なケース」は、確かに大きく上振れすることもあり、多様性も増しているが、
実はベース部分は、何も変わっちゃいない、
これがグールドの進化学のズバリではないだろうか。
それは別に悲観的な意味ではなく、
我々ヒトが進化の最前線であり、頂点だと思わないように、
という警告の方が強いのかもしれない。
全生物でいえばバクテリア、可視的生物でいえば昆虫。
彼らこそが、昔から変わらぬ地球の「主」であり、
我々はかつての魚類や爬虫類のように、一時的に出現した例外であって、
四割バッターのように、いつ消えるかも分からない存在なのである。