「Pen No.341 日本美術をめぐる旅。」

 

コンビニに行ったら、偶々目に入ったので、
久しぶりに「Pen」を買ってみた。

特集タイトルは、「日本美術をめぐる旅。」

水墨画に始まり、障壁画、絵巻、茶室、庭園、建築、
茶器、仏画、若冲、縄文、というラインナップで、代表作を紹介。

見てのとおり、最後の2つ、「若冲」と「縄文」というのが、
かなりの変化球で、その中でも、特に「縄文」。

僕は常々、「日本美術」という枠組みの中で、「縄文」を語るのは、
慎重であるべきだと思っている。

縄文芸術の魅力というのは、岡本太郎や柳宗悦の言葉を借りるまでもなく、
エネルギッシュで、逞しく、朗らかで、ソウルフルな、
おそらく日本人であれば、理解できるであろう、あの感覚である。

もちろん、ひと言で縄文時代といっても、その期間は長く、
土器や土偶の様式も異なりはするのだが、
しかし、そのあとに続く弥生時代というのは、あまりにも異質だった。

縄文と弥生の間には、
例えば、西洋でいうところの、バロックとロココのような文化的な変質と呼ぶ以上の、
明確な隔壁がある。

あれほどまでに漲っていた、縄文のエネルギーが、
弥生時代になると、急に冷めてしまうのである。

これは、縄文と弥生の間には、民族的な差異があるのだと思っている。

端的に言えば、「縄文人は、弥生人という異民族に征服された」
(ただし、北海道は除く)。

その後の日本文化というのは、そこに仏教やキリスト教という付属品がのってこようと、
基本的には、弥生文化をベースとしている。

とはいっても、文化というのはしぶといものなので、
縄文文化の遺伝子は、何らかの形で日本文化に潜在し、
何らかのタイミングで表出をしているはずなのだ。

それは果たして、鎌倉の仏像なのか、桃山の障壁画なのか、
あるいは又兵衛の怪奇画なのか、
残念ながら、不勉強な僕には、即答ができない。

しかしながら、必ずどこかで、縄文の記憶というものが、
我が国の芸術の中で、顔をのぞかせているはずなのである。

それを見つけることこそが、いまの僕にとっての、「日本美術をめぐる旅」。

ただ、こういう見方は、異端なのかもしれない。

今回の「Pen」のように、当然ながら「同じ民族の」文化であるかの如く、
縄文というものを紹介するのが、今のアカデミズムの常識なのだろう。

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