コンビニに行ったら、偶々目に入ったので、
久しぶりに「Pen」を買ってみた。
特集タイトルは、「日本美術をめぐる旅。」
水墨画に始まり、障壁画、絵巻、茶室、庭園、建築、
茶器、仏画、若冲、縄文、というラインナップで、代表作を紹介。
見てのとおり、最後の2つ、「若冲」と「縄文」というのが、
かなりの変化球で、その中でも、特に「縄文」。
僕は常々、「日本美術」という枠組みの中で、「縄文」を語るのは、
慎重であるべきだと思っている。
縄文芸術の魅力というのは、岡本太郎や柳宗悦の言葉を借りるまでもなく、
エネルギッシュで、逞しく、朗らかで、ソウルフルな、
おそらく日本人であれば、理解できるであろう、あの感覚である。
もちろん、ひと言で縄文時代といっても、その期間は長く、
土器や土偶の様式も異なりはするのだが、
しかし、そのあとに続く弥生時代というのは、あまりにも異質だった。
縄文と弥生の間には、
例えば、西洋でいうところの、バロックとロココのような文化的な変質と呼ぶ以上の、
明確な隔壁がある。
あれほどまでに漲っていた、縄文のエネルギーが、
弥生時代になると、急に冷めてしまうのである。
これは、縄文と弥生の間には、民族的な差異があるのだと思っている。
端的に言えば、「縄文人は、弥生人という異民族に征服された」
(ただし、北海道は除く)。
その後の日本文化というのは、そこに仏教やキリスト教という付属品がのってこようと、
基本的には、弥生文化をベースとしている。
とはいっても、文化というのはしぶといものなので、
縄文文化の遺伝子は、何らかの形で日本文化に潜在し、
何らかのタイミングで表出をしているはずなのだ。
それは果たして、鎌倉の仏像なのか、桃山の障壁画なのか、
あるいは又兵衛の怪奇画なのか、
残念ながら、不勉強な僕には、即答ができない。
しかしながら、必ずどこかで、縄文の記憶というものが、
我が国の芸術の中で、顔をのぞかせているはずなのである。
それを見つけることこそが、いまの僕にとっての、「日本美術をめぐる旅」。
ただ、こういう見方は、異端なのかもしれない。
今回の「Pen」のように、当然ながら「同じ民族の」文化であるかの如く、
縄文というものを紹介するのが、今のアカデミズムの常識なのだろう。