鴎外の短編随筆。
古語は擬古文において用いられるべきである、
ということを首肯しつつも、
自分は通常の文にもこれを用いる、という、
革新的態度を表明した前半と、
彼が目撃した、「むなぐるま」としか名付けのようのない「車」の観察をした後半からなる。
それは馬が牽く、とにかく巨大な車で、
王子あたりから紙を積んでいることもあったらしいが、それではダメで、
まさに「むなぐるま」としか名付けようのない、空っぽの状態に、
鴎外は独特の感情を寄せている。
漱石にも見られる、明治知識人の虚無感のようなものが、
そこには見え隠れしている気がしてならない。