日本史上の三大怨霊と呼ばれる、
菅原道真・平将門・崇徳院の死と死後についての考察と、
近代以降の、霊魂思想について述べた本である。
宗教と同様、医学というものは、
人々をできるだけ死から遠ざけるための手段なのだと思う。
つまり、
医学らしい医学が成立していなかった古代から中世にかけて、
人々は、医学無しに、死に直面していたのだと言える。
考えてみれば、これは非常に恐ろしいことだ。
病気にせよ事故にせよ、医学による処置がないまま、死に達するのである。
あるいは苦し紛れに、当然ながら麻酔もなしに、
悪化している部分の肉を、刃物で抉ったりするような、
「原始的治療」が横行していたかもしれない。
おそらく死というものは、我々現代人が想像する以上に、
凄惨で、生々しいものであったに違いない。
そう考えてみると、他人に恨みを抱きながら、苦しみ死んでいった人が、
もしかしたら怨霊になるかもしれない、と想像するのは、
科学以前の時代においては、むしろ当たり前のことだったであろう。
この本では、「幽霊」と「怨霊」の違いには特に触れていないが、
前者では死んだ側の感情が強調されているのに対し、
後者は残された側のうしろめたさのようなものがクローズアップされているのではないだろうか。
つまり、道真にせよ将門にせよ崇徳院にせよ、
死に至らしめた側に、「本当にこれでよかったのだろうか」という悔悟の念があったからこそ、
彼らは「怨霊」となったのであり、後に神格化もされたのだと思う。
ただ怨霊には、西洋における悪魔や魔女のような性格があることも否定できない。
宗教が絶大なる力を持っており、
そしてそれを証明しなければならなかった時代において、
アンチテーゼとしての「魔物」を登場させる必要があった。
西洋においては、「魔物」は徹底的に滅ぼされたが、
「怨霊」は、調伏され、やがて「和霊(にぎみたま)」へと変質するというところに、
日本文化の面白い一面があった。