日本語には、かな(ひらがな・カタカナ)と漢字があるから難しいとよく言われるが、
それだけじゃない、振仮名という厄介なものまである。
ならいっそのこと、漢字を廃止すれば振仮名だって必要なくなるじゃないか、
と思われるかもしれないが、そうはならないだろう。
例えばひらがなだけの文の右側に、
「漢字による振仮名」みたいなのが出現するだろうことは、
容易に想像できる。
漢字というのは、表意文字であり、一種の絵文字である。
つまり「漫画」という、絵に吹き出しを付けるという形式は、
実は漢字に振仮名を振るのと同じことなのである。
我々は、ひらがな・カタカナ・漢字・漫画、
さらにはケータイの絵文字・顔文字などなど、
コミュニケーションの道具をたくさん持ち合わせている状態と言える。
だから「振仮名の歴史」なんてものが、
わずか200ページほどの本で説明できるなんて期待はしていなかった。
奈良時代の経文から始まり、絵巻物、小説、漫画、官報、新聞・・・
メディアの種類でさえ多種多様なのに、
そこにどんな「振仮名の歴史」があったかなど、
一生かかってもまとめきれない仕事だろう。
でも別に、すべて語ることが本の使命なのではなく、
「我々はそういう複雑な状況の中で、
それらを使いこなして過ごしている」という事実を、
読者に気付かせることが重要なのだ。
そういった意味で、この本は、面白い(内容的にはむしろ「活字論」というカンジだったが)。
それにしても、自分のパソコンで「ふりがな」と入力して変換しても、
「振仮名」とはなってくれないのには、驚いた。
パソコンベースの生活が続くと、
「振仮名の歴史」なんてものは、すぐに忘れられてしまいそうだ。