すなわちハードとしての空間(=ウツ)がまずあり、
それ自身が形を変えたり(=ウツロヒ)、
中身としてのソフトが詰まることによって、
具現化(=ウツツ)するという、
日本文化について語る上では欠かせない事柄の再確認から出発し、
だからこそ現代のデザインはこうあるべきだ、と論を進ませる。
良い喩えではないかもしれないが、
久々に大学で授業を受けたような、
なんか襟を正して接しなければならない、
というような気持ちにさせられる(念のため補足をしますが、
僕は大学時代に襟を正して授業に出ていたことはありません)。
この本を読んで、
「芸術・デザインにおけるハードとソフトの問題」というテーマは、
まだまだ語る余地が残されているな、と思った。
光悦の器で、ウィスキーを飲むのは邪道だろうか。
ディズニーランドに美術館ができたら、非難されるだろうか。
東京ドームで「ダヴィンチ展」を開催したら、どうなるだろうか。
・・・・・・
ITの分野では、
ソフトがハードを選ばなくなってきている(逆もまた然り)。
かつては、ウォークマン、電卓、時計、メモ帳、テレビ、ラジオ・・・
なんてものは、それぞれ別のハードに頼らなければならなかったのに、
今では携帯電話1台あれば足りる。
だからといって同じように、東京ドームがあれば、
そこで野球でも美術展でもやればいいじゃない、とは、
やはりなりそうもない。
その違いは何か・・・単純な問題なのかもしれないけれども、
こういうことを考えると、デザインや芸術の本質というものが、
自然と浮かび上がってくるのではなかろうか。
※それは、これらが優れているとか劣っているという意味ではない。
この本自体は、薄いし、とても読みやすく書かれているのだけれども、
奥に広がるテーマは、深い。
「語らずして、多くを語る」
こういう本こそが、優れた本なのだろう。
素晴らしいです。