「日本語の語源」(阪倉 篤義)

別に語源なんて知らなくても、
生きてゆく上で不自由はない。

でも”ukiyobanare”的には、
こういう本に白羽の矢が立つ。

語源の詮索というものは、かなり自由度が高い。

だから極端な例では、
日本語の大部分は韓国語が元になっている、
などというトンデモ珍説が次々に出現する。

語源を考えることは、なぜ難しいか。

例えば、神(カミ)と上(カミ)は、
一見同源の語のように見えるけれども、
双方の「ミ」はいわゆる上代仮名遣の甲音・乙音の違いがある。

これを以って、
「神(カミ)」と「上(カミ)」とは語源を異にすると考えるのか、

あるいは逆に、いや、もとは関連のある語であったからこそ、
発音の微妙な違いで使い分けていたのだ、と考えるか。

どちらの立場を取るかで、
結論は180度変わってきてしまう。

つまり、語源を考えるにあたって、
純粋に学問的なアプローチを取ることには限界があるのだけれども、

それでもある程度の究明は可能である、
という前提に立っているのが本書であって、

所々で「ん?」と思える箇所もあるにはあるけれども、
極めて「おとなしめ」の語源探究となっている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です