「日本文化私観」(坂口 安吾)

坂口安吾のエッセイ集。

安吾を読むのは20年以上ぶりかもしれないが、
10代の僕が愛読した作家のひとりだ。

文化について、政治について、戦争について、
安吾のエッセイは今読んでも新鮮である。

いや、今だからこそまさに読まなくてはならないのかもしれない。

思えば昨今、安吾のように骨太に語れる文学者はいなくなった。

饒舌な評論家や、
脳味噌の欠落しているマスコミばかりが目立ち、

文学者とは女々しい小説を書いているような、
お気楽な身分のように思われている。

本来文学とは、人の生き方について悩み、
模索するジャンルである。

だから、政治家や新聞屋よりもまず先に、
文学者こそが先頭に立って発言をすべきなのだ。

悲しいかな、そんな人間は現代にはいなくなった。

そういえば、「デカダンス」などという言葉も、
いつの間にか死語になった。

平均化することを理想とする現代には、
デカダンスなどという生き方はもはや流行らないのだろう。

文学とは基本、デカダンスの精神である。

よって現代においては、
真の文学というものの生存領域が極端に狭くなってしまったのも、
仕方がない。

「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。
必要ならば、法隆寺をとり壊して停車場をつくるがいい。
我が民俗の光栄ある文化や伝統は、
そのことによって決して亡びはしないのである。」
(「日本文化私観」)

たかが数千万円の補助を打ち切られるだけで大騒ぎしている、
どっかの文楽協会とやらにじっくり読んでもらいたい一節だ。

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