「広い宇宙で人類が生き残っていないかもしれない物理学の理由」(チャールズ・L・アドラー)

 

原題は、「Wizards,Aliens and Starship:Physics and Math in Fantasy and Scientific Fiction」なので、
直訳すれば、「魔法使い、宇宙人、宇宙船:ファンタジーやSFにおける物理と数学」であり、
本の内容は、まさにこの原題の通り。

この本の大きな特徴は、この手の本にしては珍しく、
読者に嫌われるのを恐れずに、数式をふんだんに用い、

エネルギーとコストの面から、客観的に、
「ファンタジーやSF」が実現可能かどうかを、ジャッジしている点にある。

ただ(予想通り)、大半の事象は、「実現不可能」というレッテルを貼られるため、
その意味では、このような悲観的な日本語タイトルも、あながち間違えではない。

全体の9割が宇宙についての話になるわけだが、
読んでいて、ふと思ったことがある。

我々の宇宙においては、光速や重力加速度、プランク定数などのいわゆる「物理定数」が、
我々が存在するために丁度良いように調整されている、とよく言われている。

ただ不可解なことは、
「光速度」という速度制限の割には、宇宙があまりにも広すぎるということである。

たとえて言うならば、
自分が使える移動手段は自転車しかないのに、
お隣の家に挨拶するには、パリまで行かなければいけない、という状況なのである。
(いや、パリならまだましかも。宇宙はそれよりもだいぶひどい。)

ズバリ言ってしまえば、
万が一、この宇宙のどこかに我々のような知的生命体がいたとしたところで、
それらは互いにコンタクトを取れないように(干渉し合えないように)、
調整されているのではないか、ということだ。

この考えに反論するのであれば、
あのいわゆる「フェルミのパラドックス」を解決しなくてはならない。

要するに、実際に目の前にエイリアンを連れて来ないことには、
この考えに対しての反証ができない。

つい60~70年ぐらい前までは、我々の銀河(The Galaxy)こそが、
唯一の宇宙(的存在)だと思われていた。
その時代は、逆に幸せだったかもしれない。

我々の銀河の遥か先に、同様の銀河が億単位で散らばっていることを知った時に、
大半の天文学者たちは、先ほど述べたような「諦め」を感じたことだろう。

つまり、「我々は一人ぼっちじゃないけれど、誰とも会えるわけがない」というふうに。

最近では、「宇宙は広い」というのは、
この上ない皮肉であると、僕は思っている。


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