勅撰和歌集といえば、一般的には、古今和歌集から新古今和歌集までの、
いわゆる「八代集」が有名だけれども、

その後にも実は、八代集に勝るとも劣らない「玉葉和歌集」「風雅和歌集」の存在があることは、
研究者や愛好家以外にはほとんど知られていない。

「玉葉」「風雅」の両和歌集の中心を占めるのは、京極派の歌人たちで、
中でも、伏見院と京極為兼の歌は、繊細・斬新で、
思わず唸らされる名歌が多い。

これらの歌が、高等学校の教科書や大学受験の教材に一切顔を出さないのは、
全くもって謎である。

おそらくは、宣長あたりがこれらの和歌を異端であると切り捨てたことに、
遠因があるのだろう。

歌人としては超一流であった為兼が記した歌論が、この「為兼卿和歌抄」であるが、
残念ながら良い出来栄えとはいえない。

韻文の才能と散文の才能とは全く別であることの良い実例だろう。

内容的に見るべきものも少ないし、
おそらく現存の文献に脱文が多くあるせいであろうが、
とにかく文章が読みづらい。

それでも、一番の骨子になろう部分を抜粋すれば、

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言葉にて心を詠まむとすると、
心のままに言葉の匂ひゆくとは、
かはれるところあるにこそ。
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要するに、
言葉でもって心を表現しようとするのではなく、
心を表現するために自然と言葉が選ばれるということが大事だ、
というのである。

芸術を語る際に必ずといっていいほど問題になる、
形式が先か内容が先かという、そのことを言っているのであろう。

八代集は、どちらかといえば、言葉ありき、だった。

定家などは、有心だ幽玄だとしきりに説いてはいたが、
どうしても言葉を弄んでいるという印象を拭いきれない。

それとは逆に、真の意味で万葉の時代に立ち返ろうとしたのが、
伏見院であり、この為兼であった。

言葉を飾るのではなく、ストレートに詠むことで、
自然と心が滲み出る。

「玉葉和歌集」に収められている、伏見院の次の歌などは、その良い例であろう。

宵の間の むら雲つたひ 影見えて 山の端めぐる 秋の稲妻

写生の域を超えて、精密な絵画を見るようではないか。