著者の李宗吾は、中国四川省の出身で、
科挙試験に次第して官吏となったが、

腐敗した環境に愛想を尽かして隠遁し、
もっぱら執筆にふけったという、「いかにも」な人。

この書は、清朝末期に刊行され瞬く間にベストセラーとなり、
日本では「厚黒学」は「ずぶとく はらぐろい がく」と訳されている。

タイトルどおり、大物になるためには、ヤワな生き方ではダメで、
何事にも、図太く腹黒く、したたかに物事に当たるべし、という内容である。

中国史上の歴史上人物を例に挙げて、
この人はこうだから成功したとか、ここがダメだったんだとか、
「ずぶとく はらぐろい」をベースに、異色な中国思想史を繰り広げる。

ナンセンスと言ってしまえばそれまでなのだが、
こういう不思議な思想が出てくるところも、
中国文化の奥深さなのであって、

著者が「ずぶとく はらぐろい」からは程遠かったと評する項羽に対して、
訳者(葉室 早生)は、あとがきにて
、日本の楠正成を挙げているのだけれども、
そのスケールの違いたるや、如何ともしがたい。

「厚黒学」という立場から、
中国古代の偉人・賢人・聖人たちを斬っていくさまは痛快でもあるし、
思想の是非はともかくとして、
単に中国史の起伏の激しさを感じ取れるだけでも、
まぁ読んでいて楽しい本ではある。

いみじくも訳者があとがきで指摘しているように、
「厚黒学」を具現化した理想的な人物は、
毛沢東であったろう。

果たして毛沢東が、
この「厚黒学」を読んでいたかどうかは定かではないが、
中国的英雄の古代から近代への変遷を説明する際の、
キーワードたり得る著作であると思う。