「日本文化における時間と空間」(加藤 周一)

 

「いま」と「ここ」を重視するのが日本文化の特徴である、

というのが、この著作の結論。

文学や芸能の例を挙げてそのことを説明していくわけだけれども、
まぁこの手の本を読むといつも思うように、

そうなのかもしれないが、それだけともいえないのでは?
というのが感想。

これはこの本に限ったことではないけれども、
「日本文化」と呼ばれるものを考察するにあたり、
例として引用されるものに、最近疑問を感じている。

記紀、古今、新古今、源氏、俳句、連歌、侘び茶、浄瑠璃・・・

こういったものは、もちろん日本文化の一面であるには違いないのだが、
果たして本質なのかと言われると、ちょっと考えざるを得ない。

あまりに洗練されすぎているというか、
造られた「芸術」なのであって、

もっとアングラなものの中にこそ、
「日本文化」と呼ばれるものの本質が潜んでいるのではなかろうか。

だがもちろん、そういったアングラなものはなかなか史料としては残らないので、
上記のような「芸術」の中から、アングラ要素を抽出するという作業が必要になってくる。

そういった方法論を探ることを、これからは大いにやるべきであって、
この本のような内容は、間違っているわけではないが、
もはや視点が古いし、食傷気味でもある。

古くは縄文土器にさかのぼり、弥生土器を経て、
万葉集の中の洗練されていない歌、そこまではいい。

その先で、暗渠のように日本文化の地下へと潜っていった世界、
そこを探りたいと思うのが、個人的な課題でもある。