「人体 失敗の進化史」(遠藤 秀紀)

最初はウェットな文体で抵抗があったのだけれど、
読むうちに著者の「熱さ」と語り口の魅力に引きずり込まれてしまい、
読後は拍手喝采を送りたいような気持ちにさえなった。

ナメクジウオから始まった脊椎動物が、
我々ヒトに進化する過程においては、

さぞかし華麗なる変異・変身の歴史があるのだろうと思いたくなるが、
著者はそれを明確に否定する。

曰く、進化とは間に合わせの改良の積み重ねだと。

つい先日、こちらの本では、
化学者視点による進化についての感想を述べたが、
今回は、動物の解剖学者による進化論。

どちらもそれぞれ正しいとは思うし、
どちらが正解と決めることに意味はないと思うが、

けれども、おそらく手を血まみれにしながら動物の内臓をまさぐり、
その臭いや手触りによって、
我が身以上に動物の構造を把握してきた今回の著者の方が、
僕は的を射ていると思うのである。

なぜ人体の内部は左右対称ではないのか、
なぜヒトの女性には頻繁に月経があるのか、
なぜチーターはあれほどの速度で走れるのか、
なぜアザラシは長時間潜水できるのか。

それぞれの進化の歴史には、
それぞれの泥臭い理由がある。

ダーウィンにせよ、ラマルクにせよ、
グールドにせよ、ドーキンスにせよ、

著者の「血まみれの」進化論を前にしては、
キレイゴトに過ぎないのではないかとすら思えてくる。

この本が素晴らしい点は、まだある。

現在の文化を拝金主義だとし、
真の学問とは何か、真の文化とは何か、を真剣に訴えている点だ。

解剖というと、すぐに養老孟司先生を思い浮かべてしまうのだが、
人体が専門だった彼のクールさとは真逆で、
動物専門の著者の口調はどこまでも熱い。

そして、一体の動物の体のつくりから、
何億年間もの進化について思いを馳せることができるのは、
お見事と言うしかない。

著者は現在、東大の博物館の教授をされており、
こういう方がいるうちは、我が母校も捨てたものではないのかもしれない。