「敗者の古代史 戦いに敗れた者たちはどうなったのか?」(森 浩一)

今更言うまでもなく、
一国の歴史というものは、権力による「検閲」を免れない。

ましてやそれが、
『古事記』や『日本書紀』に書かれた我が国の歴史ということになれば、
すべてがフィクションとは言わないまでも、

権力側による捏造・歪曲が、
加えられていない方がおかしいぐらいである。

特に、権力に楯をついて敗れ去った者については、
「負ければ賊軍」の言葉どおり、
記紀の記述は、あからさまに冷淡になる。

果たしてそれは歴史を著すものの正しい態度なのだろうか?

ヤマト政権が、日本を治める安定した政権となりうるのは、
やっと平安時代ぐらいのことであろう。

つまりそれまでは、ヤマト政権といえでも、
国内に複数ある権力のうちのひとつであり、

この本に描かれた忍熊王にしても、筑紫の磐井にしても、
ヤマトと同等以上の力をもった支配者であったことは間違いない。

ただそれが、戦でやぶれたという理由だけで、
ヤマト側からは「悪」として描かれる、
それはおかしいじゃないか、というのが本書の立場である。

著者は戦前生まれながら、
歪んだ皇国史観に毒されることなく、
つとめて客観的に史実を明確にしようとする姿勢は、
実にすばらしい。

古墳や神社などの史跡からの考古学的アプローチによって、
文献史料に描かれなかった歴史の真実に迫る方法は、

研究室で文献とにらめっこをしているだけの研究者とは大違いであり、
このような方法がもっと「あたりまえ」になることで、
古代史の新しい姿が見えてくるのではないだろうか。

勝者を「正」とし、敗者を「誤」とするのは、
歴史の避けられない性質なのかもしれないが、

その歴史を鵜呑みにするのではなく、
疑ってみることで辿り着ける真実もある。

はっきり言ってしまえば、
日本の古代史などは嘘だらけなのであって、

こういう本をきっかけにして、
真実を捉えなおす気運が高まってくれればよいと思う。