「東路記 己巳紀行 西遊記 」(新 日本古典文学大系)

「東路記」(あづまぢのき)は、

・東海道記
・美濃近江路記
・播州高砂より室迄之路記
・東山道記
・自江戸至日光路之記
・日光より上州倉賀野迄の路記
・濃州関が原より越前敦賀へ行路記
・越前敦賀より京都への路記
・厳嶋の記

からなる。

この紀行文が、
例えば芭蕉の「奥の細道」とほぼ同時期の作品ながら、
その性格が全く異なるのは、

作者である貝原益軒の、
客観的かつ科学的素養によるものだろう。

だから、読んでの感想としては、
文学作品というよりも、
ガイドブックや地誌に近い。

須原より野尻へ一里二十四町。
須原の町、家数八十許。
此間、いな川あり。
伊奈郡より流出る川なり。
其川に大きにして長き橋あり。
大嶋村五六町行きて、関山の橋、坂の上にあり。
かけはしなり。

という調子で終始すすみ、
時折作者の主観が顔を覗かせても、
きわめて控えめなレベルにすぎず、

中世以前の紀行文に慣れた読者だと、
正直、退屈に感じるに違いない。

けれども思うのは、
例えば、「東海道中膝栗毛」のように、

旅の人情にスポットを当てて、
それを面白おかしく描くのも文学であれば、

この作品のように、透徹した観察眼で、
体験をありのままリアルに伝えるのも、
また文学だということだ。

自分が足を運んだことのある土地について書かれた箇所については、
350年後の僕でさえも、
興味深く読めるわけだから、

同時代の人からすれば、
まるでドキュメンタリー番組をみるような、
そんな興味の宝庫であったに違いないわけで、

「人の心の中の何か」を掻き立てるのが文学であるならば、
この作品も、正真正銘の文学であるに違いない。