内田 百間 著「東京焼盡」(中公文庫)

まず最初にことわっておくと、
百間先生の「けん」の字は、

本来は「門がまえ+月」なのであって、
それを「間」の字で代用しているのは、

一部のブラウザで文字化けをするために、
やむを得ない処置なのではあるが、

そもそも「月」と「日」は、
全く異なるものであり、
しかも単独では「ケン」とは発音しないにもかかわらず、

そのどちらもが「門」の中に入ると、
同じく「ケン」と発音するのがおかしいのであって、

はじめから「門がまえ+月」の文字しか存在していなければ、
ブラウザも観念して正確に表示したはずなのである

・・・・・
・・・
と、ちょっと百間先生の文体を真似て言い訳してみたw

さて、この日記は、東京に空襲が始まった、
昭和19年(1944年)11月1日から、
敗戦直後の、昭和20年(1945年)8月21日まで、
内田百間により毎日欠かさず書かれたものである。

もしあなたが「百間マニア」ではなく、
単に戦中日記としてこの作品に向かおうとするのであれば、
オススメはしない。

なぜならばこの作品は、
戦時中の日記資料としてよりも、

(著者が意図したものであれ、そうでないのであれ)
「百間文学」として味わうことの方が、
何倍も価値があるからであり、

そして間違いなく、
百間先生の面白さを知らない読者がこの作品を読んだところで、
途中が苦痛になるであろうことは、
想像に難くないからだ。

何時に空襲警報が出て、
何時に出社し、何時に寝て、
ということが、毎日欠かさず記される。

事実としてはそれまでなのだけれど、
その事実の合間に見え隠れする、
百間ワールドとでもいうべき、偉大なるマイペース(!)

すなわち、

朝起きてから会社に行くまでに、
何で5時間以上もかかってるんだろう、とか、

昼すぎに出社して、何もすることなく散髪して帰宅してるけど、
それで会社に行く意味あるのだろうか、とか、

空襲から逃れる際に、残りわずかな酒を、
わざわざ一升瓶に移す必要があるのだろうか、とか、

家に迷い込んだ雀を鳥籠に入れたものの、
焼いて食べようか悩んだ末、逃がした挙句、
なぜかその後不機嫌になったり、とか、

白い服を着ると敵機に狙われるし、
そのために周りの人にも嫌がられるって分かっているのに、
でも結局着るんだ、とか、
・・・・・・・
・・・・・

理屈では説明できない、
百間のある意味「わがまま」を貫くことが、
そのまま文学になってしまっている。

それは実はとてつもない才能で、
例えば同じく漱石の弟子であった芥川なんかとは、
まるで真逆の文学精神であると言えるかもしれない。

そんな「百間イズム」は、他にも、
たとえばこんな記述に見て取れる。

1945年7月1日の日記で、
あれも焼けてしまった、これも焼けてしまった、

そしてその存在を忘れていたものまで思い出して、
焼けてしまった、と後悔する場面。

その後悔のあと、先生はすぐに開き直って、

いや、存在を忘れていたものならば、
焼けようが焼けまいが同じことである。

忘れていなかったものであっても、
有ったものが焼けてなくなってしまったのであれば、
元々無かったと同じことで、

であれば、元から無かったものも焼けてしまったと、
思うようにしよう。

ピアノ3台にソファ、電気蓄音機、電気アイロン、ミシン・・・

そんな高価なものは持っているはずないのに、
実は持っていて焼けてしまったと思えば、
それはそれで楽しめる。

この強引なる論理の飛躍(笑)。

実際は住む家もなくなり、酒や煙草はおろか、
毎日「鹿のような食い物」にしかあり付けない状態なのに、

その境遇を楽しもうとする精神は、
いたずらに愛国を叫んだり、キレイごとを並べる二流文士とは、
やはりわけが違う。

そしてそのときの状態を、
下記のような独特な(本当に独特な)表現で綴る。

大正十三年早稲田ホテルへ這ひ込んだ当時、
川に陥ちて足の裏が川底の砂に触れる様だと考へたが、
今日の日本も足の裏に川底があたる所迄沈まなければをさまらぬのであらう。
水の底で砂を蹴って浮き上がる日のある事を祈念する。
(1945年7月11日)

川や海で、足の付くか付かぬようなところで泳いだときの不安は、
誰にでもあるだろう。

そのときの、つま先で微妙に川底をなぞるあの感覚に、
戦時中の苦しさを喩えているわけだ。

しかし百間先生は、決して余裕だったわけではない。

終戦後の8月21日の日記に、こうある。

臆病だから人並以上に恐れたが、
しかし心ゆくまで恐れたという片付いた気持ちもある。
怖い事を怖いと思ふまいとしたり何かに気を取られて
或いは遠慮して中途半端に恐れるのは恐怖以外の不快感を伴う。
この節の生活では恐れると云ふ事以外に、
人生の意義は無いのではないかと云ふ様な事も考へた。

そして最後に、同日8月21日、
日記の末尾はこのように締められる。

何しろ済んだことは仕方がない。
「出直し、やり直し、新規巻き直し」
非常な苦難に遭って新しい日本の芽が新しく出て来るに違ひない。
濡れて行く旅人の後から晴るる野路のむらさめで、
もうお天気はよくなるだろう。

やっぱり、好きだなぁ、百間先生。

でも先生のマイペースに付き合っていると、
深みから抜け出せなくなると困るので、

また時間をおいて訪れて、
「お前、また来たのかよ」と、
ページ越しに先生に苦笑される楽しみを味わうことにしよう。

「出直し、やり直し、新規巻き直し」

イヤなことにぶつかったら、
こうつぶやくことにしようか。