勝又 基 編、「古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。」(文学通信)
2019年、明星大学において行われた、
古典肯定派、否定派2人ずつをパネリストに迎えての、
討論会を収録した本。

企画自体は興味深いが、
不満な点がいくつかある。

不満その1:
そもそも、討論になっていない。

否定派は明確なロジックで意見を述べ、
回答を求めているのに対し、
肯定派は、論旨のずれた意見を開陳するだけで、
最初から最後まで、議論が噛み合わない。

不満その2:
テーマが不明確。

(主に肯定派のせいでもあるが)
「古典は必要なのか」なのか、
「高校での古典教育は必要なのか」なのかが、
曖昧のまま議論されている感がある。

不満その3:
パネリストが不適格。

「高等学校における古典教育」
について議論するのであれば、
高校教師や高校生がパネリストになるべきなのだが、

それとはかけ離れた人物たちが、
妄想や願望で高校の教育現場を語っている。

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ということで、
「古典の価値とは何か」
については、
色々と考えさせられる本ではあったが、

残念ながら、
討論の企画自体は、
成功したとは言い難い。

さて、本来であれば、
討論のテーマである(と思われる)、
「高校教育において、古典は必要か」
について、

大学で日本の古典を専攻した、
僕なりの考えを述べるべきなのであろうが、

実は高校は1年で中退したこともあって、
「高校教育」自体の必要性を感じていないため、

あまり参考になる意見を述べられそうにないので、
やめておく。

ただひとつ言うならば、
大学での古典の学習は、
その後の人生においても、
非常に有意義であった。

そして、
その大学での学習に踏み出すためには、

少なくとも大学入学前に、
古典の魅力について知ることが、
必要なのだろう。

ただそれが、
「高校での教育で必要」なのかどうかは、

古典云々というよりも、
教育・受験制度の問題の気もしている。