「サバ・サバノビッチ」って、鯖の王様みたいな名前だが、
セルビアの伝説の吸血鬼だそうで、
そのセルビアのとある町で、「吸血鬼警報」が発令されたという、
ほのぼのとした?ニュースを目にした。
詳細は、このナショジオの記事を読んでいただければよいのだが、
そもそも吸血鬼伝説の一番の要因は、
医学が未発達だった時代に、
完全に死亡していない状態で土葬を行っていた、
ということにある。
実は昏睡していただけなのに土葬してしまい、
後から墓を暴いてみたら、まだ死体が温かかった…
ということから、吸血鬼の存在がウワサされるようになったわけだ。
似たような伝説は洋の東西を問わず、各地に存在しているし、
ゾンビにしても、そのバリエーションである。
ただ不思議なことに、日本にはこのような、
「屍体が蘇って悪事をはたらく」というパターンの伝説が、
ほとんど存在していない。
それについては、日本では火葬が行われていたから、
というのは大きなウソで、
火葬が行われていたのは、天皇家と一部貴族ぐらいのものだった。
庶民においては、
わざわざ薪のコストを負担してまで火葬することなどなかったわけで、
ほとんどが土葬や水葬だった。
そういう意味では、
我が国でも、吸血鬼伝説が存在し得る条件は整っていたのである。
では、なぜ日本には吸血鬼伝説が見られないのか。
もちろん、似たような話はある。
たとえば、
死者の国からイザナキを追いかけるゾンビ化したイザナミ、
などというのは、その一例だろう。
でもそれは「古事記」などに記されているだけで、
民間にそのような伝承が根付いていたとは、考えづらい。
これは推測なのであるが、
日本人には「覆水盆に返らず」的な発想が強いのではなかろうか。
死んでしまえば、それで終わり。
魂は彷徨って「幽霊」になることはあるかもしれないが、
もう一度体に戻って、蘇るなんてことはないし、
死んでしまった体は、
たとえ温かろうが、肌つやがよかろうが、
ただの「ナキガラ」。
それを「空蝉(うつせみ)的発想」とか名づけるとカッコイイのかもしれないが、
死後肉体ごと復活するキリスト教文化圏とは、
性質が異なることは、明らかであろう。
あとはもちろん、仏教の影響も看過できない。
もしかしたら、「古事記」が伝承する時代(5世紀ごろ?)は、
イザナミのようなゾンビ伝説は存在していたのかもしれないが、
6世紀以降の仏教伝来とともに、
そのような思想が駆逐された可能性もある。
というよりもそれは、仏教の名を借りた、
中央政府による「浄化作戦」なのかもしれないが。
天武・持統朝による中央集権化(天皇神格化)と、
聖武朝以降の仏教国教化政策により、
消されてしまった我が国の伝承・習俗は、
実はかなり多いのかもしれない。
ゾンビ化したイザナミは、
結局イザナキを捕えることはできなかった。
そしてイザナキは死者の国への入り口を、
巨岩で密閉してしまう。
それはゾンビたちが地上へ出ることを防ぐのとともに、
権力による「異端のモノ」への決別の証しだったのだろうか。