3.
半里ばかり歩いたでしょうか。

先を歩んでいた男が一軒の家の前で立ち止まり、
照れたように微笑みながら、こちらを見ていました。

どうやら、ここが彼の家なのでしょう。

想像していたよりも遙かに大きな家で、おそらくは里の役人なのでありましょうか、
門の奥では、ここに仕えていると思われる大勢の男女が忙しく立ち回りながら、
まさに今帰宅した主(あるじ)を迎え入れんとしているところでした。

「まぁ、入りなさいな」

主はそう言うと、またくるりと背中を向けて、門の中を進んでいきます。

私も自然と体が、遅れてはならぬとばかりに反応して、
主が客人を連れてきたことに気付いてますます騒々しくなる家人の様子を目にしながら、
主の後ろをぴったりと付いて行くのでした。

「おーい、酒と食い物を持ってこーい」

促されるままに家に上がり、主と正面向かって座らされるやいなや、
家中に響き渡るほどの声を張り上げました。

彼の声がまだ終わらぬうちに、さらに周りは慌ただしくなったかと思いきや、
ものの数分も経たぬ間に、見たこともないような料理やら酒やらが、
次々と運ばれてくるではありませんか。

自分と主の間には、魚や獣の肉、山菜などの色とりどりが一面に広がり、
思わず見とれていた目の前に、
なみなみと注がれた酒が、すーっと差し出されました。

「さぁさ、今日はめでたい日だ。どんどん食べて飲んでくれの。」

その声で、私はふと我に返りました。
これはどうも変ではないか、なぜ自分がここまで饗応されるのか、
これはやはり魔物か狐の仕業ではないのか・・

私がためらっているのを目ざとく見抜いた主は、
その木の皮のような顔に、さらに深い皺を寄せ、
笑いながら言いました。

「何もそんなびくびくするもんじゃねえ。毒も何も入っていやしねえさ。
じゃあ、ほれ、俺の方から先に食べてみるから」

そう言って主は、まずは芳しい湯気を放っている、魚の焼きものを一口、
そして喉を鳴らしながら、酒をごくごくと。

私は我慢できなくなったと同時に、一気に緊張から解放され、
目の前のご馳走を、次から次へと口へ運びました。

こんなに旨い料理や酒は、生まれて初めてでした。
食べている間、主がいろいろと話しかけてきたのは知っていましたが、
その内容も覚えていないぐらい、胃袋を満たすことに夢中だったのです。

・・・・・
・・・・

飲み食いにもだいぶ飽きてきて、話を聞く注意力も戻ってきたころ、
主が驚くようなことを言い出しました。

「実は、俺がおめえをここに呼んだのには、訳がある。
うちには今年十八になる娘がいるんだが、
おめえに婿になってもらいたくてよ。」

私は、門を入って家にあがるまでの間、
奥の部屋からこちらをそっと窺っていた、
色白の娘のことをふと思い出しました。

主の語るのがその娘のことだという確証はなかったのですが、
相当酔いが回っていたこともあってか、
私にはもう、その娘のことだとしか思えなくなっていました。

そして、形だけでも、少しは躊躇うフリをした方が良かったはずなのですが、
自分でも信じられないぐらいあっさりと、主人の申し入れを快諾したのです。

「そうか、それはよかった。じゃあ今日からうちの婿だな。
よろしく頼んだぞ。」

彼女の名前は、衣(きぬ)姫といいました。

その夜から、私と衣とは、夫婦となり、
来る日も来る日も、昼も夜も寄り添いながら、

私はすでに、かつてここへ来る前に暮らしていた故郷のことも、
そこに残してきた父母のことも、すっかり忘れて、

ただただ、その幸せの中に浸りきっていたのです。

しかし気になることがなかったわけではなく、
それは衣が、時折ひとりで泣き悲しむことがあり、

そのわけを尋ねてみても、父親から固く口止めされていると答えたきり、
またうつむいて泣き続けるのです。

そんなことが、一日一度は必ずありましたが、
それでも、泣き止んだあとの衣の笑顔を見ると、
私たちはまたいつも通りの幸せな夫婦に戻っていくのでした。」