「太平記」の鎌倉を歩く(その5)

その4からの続き)
三月ではあるが、まだ日は長くないので、次の目的地へと急ぐことにする。

※書くのも先を急がなくては、記憶が薄れてしまう。

正午前に「鎌倉五山 本店」で建長饂飩(けんちんうどん)をいただいたきりで、
今まで水分すら摂っていないことに気付き、
とりあえず一休みすることにした。

小町通りにある、「カフェロマーノ」。

飢えと渇きのせいか、自家製のケーキと珈琲がやたらと旨い。
器やコーヒーの淹れ方にも、店のこだわりがひしひしと伝わってくる。
いや、これはいつ来ても旨いはずだと確信し、ポイントカードまで作ってしまった。

・・・・なんかグルメブログのようになってきた。
先を急ごう。

鎌倉から江ノ電に乗り、長谷で降りる。

踏切を渡り、大仏や長谷観音とは逆側へと歩くと、
「鎌倉七切通し」のひとつ、「極楽寺切通し」に出る。

新田義貞は、「巨福呂坂」「化粧坂」、
そしてこの「極楽寺切通し」の3ルートから鎌倉を攻めたことは既に書いた。

義貞は、舎弟の脇屋義助とともに化粧坂ルートを攻めたはずだが、
そちらの戦いは具体的には描かれず、
義貞が登場するのは、なぜかこの「極楽寺切通し」である。

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新田義貞、二万余騎を率して、二十一日の夜半ばかり、
肩瀬、腰越を打ち廻って、極楽寺坂へ打ちのぞみ給ふ。
(「太平記」第十巻)
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義貞は化粧坂を攻めたわけではなく、
源氏山に陣取って、適宜諸方へ兵を遣わしたであろうことも、既に述べた。

源氏山からであれば、鎌倉中心部も、長谷も目と鼻の先である。

それが「肩瀬、腰越を打ち廻って」だと、
わざわざ江の島あたりまで遠回りをして戻ってきたことになる。

これは間違いなく虚構だろう。
稲村ケ崎のところで再度触れるが、「稲村ケ崎越えの奇跡」を描きたいがために、
義貞を遙か遠くの江の島まで、わざわざ飛ばしたに違いない。

ともあれ、極楽寺坂へやってきた義貞を待っていたのは、
強固な北条氏の守りだった。

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明け行く月に、平家(=北条)の陣を見給へば、
北は切通しにて、山高く路険しきに、
城戸を結ひ、垣楯を掻き、
数万騎の兵、陣を並べて並み居たり。
(同上)
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極楽寺坂

これは鎌倉側から撮った写真で、画像の右が北にあたる。

この細い切通しに、数万の軍が柵を作り、楯を並べていたというのだから、
さすがの義貞も、ここを破れなかった。

さらに、上の文章はこのように続く。

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南は稲村ケ崎にて、道狭きに、
波打ち際まで逆木を繁く引っ掛け、
沖四、五町の程に、大船を並べ、矢倉を掻き、
横矢を射させんと支度せり。
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すぐ南の海側のルートは、北条の海軍が沖から矢を射てくるので、
そちらを攻めることもままならず、
遂に義貞は、神頼みをすることに決める。

ここが、鎌倉攻めのクライマックスシーンである。

だがそこを語る前に、こちらも移動しなくてはならぬ。

極楽寺坂から稲村ケ崎は、疲れた足には若干遠いので、
再度江ノ電に、一駅ばかり世話になる。

稲村ケ崎から海へ出る道は、何度歩いてもわくわくする。
狭い道を曲がって、目の前に海が現れるときの開放感は格別だ。

砂浜に下り、義貞の視点で鎌倉方面を撮る。

稲村ケ崎

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義貞、馬より下り、甲を脱いで、
海上の方を伏し拝み、龍神に向かって祈誓し、
(中略)
信心を凝らして祈念を致し、自ら佩き給へる金作りの太刀を解いて、
海底に沈められける。
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龍神に金の太刀を奉納したのが功を奏し、
稲村ケ崎は引き潮となり、北条の海軍も沖へと流されたので、
新田軍は、今とばかりに鎌倉へなだれ込み、これで勝負あった。

しかしここでも謎なのは、極楽寺坂と海岸線は、とはいえ少し離れているし、
極楽寺坂の写真を見ても分かるように、崖を隔てている。

極楽寺坂に数万の兵を配置した北条軍が、
海辺には兵を置かず、海上から矢を射るだけで侵入を防ごうとしたことはあり得るだろうか。

もし本当に、義貞の鎌倉攻めが、「太平記」に書かれている通りだったとしたら、
正直、無能な大将だったと言わざるを得ない。

だがおそらくは、源氏山から直接長谷辺りへ下り、
一気に勝負をつけたというのが事実であったろう。

エンターテイメント性を高めるための、作者による敢えての虚構である。

さて、これで今回の目的地はすべて回った。

すでに完全に日が落ちた海岸線を、七里ヶ浜の駅まで歩き、
割とお気に入りの、「スペイン居酒屋 morimori」で海鮮パエリアと白ワイン。

いつ来てもカウンターまで一杯で、
この賑やかさと海辺の開放感が、心地よい。

・・・・またグルメブログみたいになってきた。

実は、「太平記」に描かれる鎌倉はこれで終わりではない。

後半で、義貞と義助の息子たちが、再度鎌倉を攻めることになる。

なぜ今回、後半分の史跡を訪れなかったかといえば、
ズバリ、まだ読んでないからである。

岩波文庫版は、第五冊の予約がようやく始まったが、
最後の第六冊も、さすがに年内には出るだろう。

そうすると次の「太平記巡り」は、冬になるのかな。

請うご期待。

(おわり)